『人はいかに学ぶか』の名言10選|教えられなくても人は学べる

人は教えられなくても、必要から、他者とともに学んでいる。『人はいかに学ぶか』(中公新書)から10の言葉を出典ページ付きで引用し、学びに自信を失った人へ、仕事と日常に引き寄せた読書メモとともに紹介します。
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勉強が続かない。教わったことが頭に残らない。そういう自分を「学ぶのが苦手な人間だ」と決めてしまった覚えが、どこかにないでしょうか。『人はいかに学ぶか 日常的認知の世界』(稲垣佳世子・波多野誼余夫、中公新書)は、その決めつけを静かにほどいてくれる本です。人は日常生活では、誰に教えられなくても能動的に、しかも有能に学んでいる。学校の勉強で「落ちこぼれ」と呼ばれた人も、料理や仕事や人づきあいでは、ちゃんと学べている。そこから出発して、人がよく学べる条件を一つずつ確かめていく一冊です。
この記事では、私がページの端を折りながら読んだ中から10の言葉を選び、本文の引用と、読みながら書き込んだ考えをまとめました。学びに自信をなくしている人にこそ、効く言葉だと思います。

この記事で読む本
『人はいかに学ぶか 日常的認知の世界』稲垣佳世子・波多野誼余夫(中公新書)
認知心理学の二人の研究者が、「教えられてはじめて学ぶ」という常識を日常生活の観察からひっくり返す一冊。1989年刊行の新書ですが、職場の学びや独学の悩みに、いまも真っすぐ届きます。

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学びは目標ではなく副産物でいい

「学ぼう」と気合いを入れた途端に続かなくなる。そんな経験がある人に、まず前書きの二つの言葉から届けます。本書の出発点は、学びを「努力して手に入れるもの」から降ろすところにあります。

名言1【稲垣佳世子・波多野誼余夫】気づいたら学んでいた、が普通の形

学ぶこと自体を目標として努力しているという意識もない。相手と意思を通じ合いたい、美味しくて栄養のあるものを食べたいというのが目標で、これをなんとか実現しようとしているうちに、結果として学習が成立していたということが普通だろう。

(稲垣佳世子・波多野誼余夫)

出典:『人はいかに学ぶか 日常的認知の世界』(中公新書)前書き
前書きで、著者たちは日常生活の学びをこう描きます。外国で暮らす人は「言葉を学ぼう」と思って学ぶのではなく、相手と通じ合いたくて話しているうちに、言葉が身についている。料理も同じで、おいしいものを食べたいという目標の副産物として、腕が上がっていく。学びは目的ではなく、何かを実現しようとした跡に残るものだ、という見方です。私はここに「結果として学習が成立していた」と赤線を引きました。仕事でも同じことが起きているはずなのに、私たちは学びを「研修」や「資格」という別の箱に入れて、日々の業務から切り離してしまいがちです。本当は、昨日より少しうまく会議を回せた、お客さんの言葉の意味がひとつ分かった、そういう跡がすでに学びなのです。それを学びとして数えるために要るのは、新しい教材ではなく「振り返り」だと、私は読みながら書き込みました。今日できたことを一行だけ書く。それで、副産物だった学びが自分の手元に戻ってきます。

名言2【稲垣佳世子・波多野誼余夫】進歩を素直に喜べる学び方がある

学ぶことそのものを目標にしていると、学校での勉強と同じく、自らの進歩の遅さに嫌がったりすることもあるだろうが、学ぶことが副産物の場合には、いつの間にか自分が達成していた進歩を素直に喜び、その過程で力を貸してくれた多くの人々に感謝したくなるに違いない。つまり、学習にも明るいイメージを持てるのである。

(稲垣佳世子・波多野誼余夫)

出典:『人はいかに学ぶか 日常的認知の世界』(中公新書)前書き
学びを目標にすると、進みの遅さが気になります。参考書の残りページを数え、同期の資格取得を横目で見て、自分の遅さに嫌気がさす。この感覚は、学ぶことそのものを目標に置いたときに起きる、と著者たちは言います。学びが副産物であれば、ある日ふと「あれ、できるようになっている」と気づく。そのとき人は自分の進歩を素直に喜び、手を貸してくれた人に感謝したくなる。学びに「明るいイメージ」が宿るのは、この順番のときです。私はこの一節に、本書を読み進める問いを一つ立てました。進歩を素直に喜び、力を貸してくれた人に感謝できる学び方をするには、何ができるのか。答えの一つは、比べる相手を変えることだと思います。隣の人の到達点ではなく、三か月前の自分と比べる。そのためには三か月前の自分が何をできなかったかの記録が要ります。手帳の片隅に「今日できなかったこと」を書いておくと、あとで読み返したとき、それがそのまま進歩の証拠になります。

教えられなくても人は学べる

本書がいちばん強く批判するのは、「人は教えられてはじめて学ぶ」という常識です。この見方の裏には、学び手は受け身で有能ではない、という前提が隠れています。

名言3【稲垣佳世子・波多野誼余夫】学び手は無能だという前提を外す

教えられてはじめて学ぶという伝統的学習観を排し、その根底にある学び手の否定的なイメージを払拭することが必要なのである。

(稲垣佳世子・波多野誼余夫)

出典:『人はいかに学ぶか 日常的認知の世界』(中公新書)p.18
第1章で著者たちは、学校を中心に広がった「伝統的学習観」を取り上げます。そこでは学び手は受動的で、放っておけば学ばない存在だと仮定されている。だから教え込みが増え、管理が増え、結果として学び手の主体性が削られていく。著者たちはこの連鎖を「好ましくない社会的帰結」と呼び、学習観そのものを転換しなければならないと書きました。私はここを読みながら、職場の光景を思い浮かべました。新人には先輩が付いて教え込む。教える側の時間が足りなくなると、学びが止まる。教えられるのを待つ側は、待つことに慣れていく。どちらも悪意はなく、「教えなければ学ばない」という前提を疑っていないだけなのです。自分に向けても同じことが言えます。「ちゃんと教われていないから、できない」と思っている領域が、誰にでも一つはあります。その前提を一度外して、「教わらなくても自分は学べる」と仮定し直してみる。本書はその仮定のほうが事実に近いと、丁寧に示してくれます。

名言4【稲垣佳世子・波多野誼余夫】先生がいなくても学びは成立している

日常生活では伝統的な学習観のもとでは学べない、あるいは学びにくいと想定される「教え手なし」の条件下でもかなり効果的に学べることがわかるだろう。なんといってもここでは学ぶ意義のよくわからないものを、他人から強制されて学ぶのではない。学び手自身がそれを必要と認め、自ら進んで学ぶのである。つまり学び手は極めて能動的なのだ

(稲垣佳世子・波多野誼余夫)

出典:『人はいかに学ぶか 日常的認知の世界』(中公新書)p.40
第2章は、外国で暮らしながら言葉を覚える人や、職業の現場で技能を身につける人の観察から、「教え手なし」でも人がよく学ぶことを確かめていきます。そこにあるのは、学ぶ意義が分からないまま強制される学びではなく、自分で必要だと認めた学びです。英語の勉強で考えると分かりやすいと思います。「いつか外国人と話すために」という目標は、日々の生活では切実さに乏しい。だから文法の正しさや発音のきれいさが目標にすり替わり、通じ合うという本来の目的は背景に押しやられる。著者たちはこの例を使って、学びが止まる理由を「能力」ではなく「必要の薄さ」に置き直します。これは救いになる見方です。続かなかった英語も、途中でやめた資格も、あなたの頭の問題ではなく、生活の中にその必要がなかっただけなのです。逆に言えば、いま仕事で本当に困っていることは、すでに学びの入口になっています。そこから始めればいい。

名言5【稲垣佳世子・波多野誼余夫】自分の行動の主人公でいられる学び

自分でつくり出した目標、自分のものと実感できる目標との本質的なつながりで学ぶことを意味している。自分は自分の行動の主人公であるという感じを持つ活動に従事する、ということである

(稲垣佳世子・波多野誼余夫)

出典:『人はいかに学ぶか 日常的認知の世界』(中公新書)p.42
著者たちは「必要から学ぶ」の意味を、二つの条件で絞り込みます。一つは、その必要が他人に作られたものではなく、学び手自身が自分の問題を処理するうえで欠かせないと感じたものであること。もう一つは、目標と学ぶ内容の間に、切り離せないつながりがあること。お小遣いを増やすために漢字を練習する、というのはここに入りません。お小遣いと漢字の間に本質的な関係がないからです。この二つがそろったとき、人は「自分は自分の行動の主人公だ」という感じを持って学べる。私はこの一文を読んで、やる気が出ない勉強の正体が見えた気がしました。やる気がないのではなく、主人公の席に座れていないのです。誰かが決めた目標、誰かが決めた教材、誰かが決めた期限。その中で学ぼうとすると、どうしても観客席からの学びになります。半歩だけ変えるなら、与えられた課題の中に「自分が本当に知りたいこと」を一つ見つけることです。それだけで、席が少し前に移ります。

必要から始まって必要を超えていく

必要から学ぶのなら、最低限のことしか学べないのではないか。本書はこの疑問を正面から受け止めて、答えます。

名言6【稲垣佳世子・波多野誼余夫】好奇心が必要の先へ連れていく

このような知的好奇心から、必要に始まって必要を超え、より深く学ぶことができるのである。

(稲垣佳世子・波多野誼余夫)

出典:『人はいかに学ぶか 日常的認知の世界』(中公新書)p.43
必要から学ぶと、当面の目標を最短距離で片づけるだけになり、対象を深く学ぶ機会を失うのではないか。著者たちはこの疑問を自分で立てたうえで、そうはならないと答えます。人は自分や周りの世界について、もっと知りたい、つながりを自分なりに納得したいという欲求を持っている。この知的好奇心があるから、必要に始まった学びは必要を超えて広がっていく。「必要は発明の母」ということわざを引きながら、必要から新しいものを見出せるのも、人がこの好奇心を持っているからだと書いています。私の読書メモには、この箇所に「結論、そんなことはない。必要な部分からその周辺にあるものまで学び取っていく」とだけ書いてあります。仕事で一つの機能を覚えようとして、気づいたら周りの仕組みまで調べていた夜を、誰もが知っているはずです。あの脱線は無駄ではなく、本書の言う「必要を超える学び」そのものです。最短距離を気にしすぎず、寄り道を許す。それが深さを作ります。

名言7【稲垣佳世子・波多野誼余夫】知識は頭の外にあってもいい

問題を解くのに、必要な知識は常に人間の頭の中になければならない、というわけではない。まして、それが適切な場面ですぐに引き出されるようになっている必要は無い。学校でのテストとは違って、日常生活ではどの知識を使えば良いかのヒントが豊富に与えられるし、ときにはその場にある知識、つまり頭の中にではなく外にある知識を利用しても構わない。

(稲垣佳世子・波多野誼余夫)

出典:『人はいかに学ぶか 日常的認知の世界』(中公新書)p.88
第3章は、人の有能さが「文化」に支えられていることを扱います。道具や設備には、どう使うかの手順がすでに埋め込まれている。文字や絵は、知識を記号にして頭の外に置き、必要なときに参照できるようにした仕組みです。だから日常生活では、必要な知識をすべて暗記しておく必要はない。手がかりは場にあり、外にある知識を読み取って使えばいい。これはテスト型の学びに疲れた人への、大きな許しだと私は思います。覚えていないことは恥ではありません。どこにあるかを知っていて、必要なときに取り出せれば、それはもう使える知識です。私はここで「いかに情報を与えずに情報を与えるか」と書き込みました。よく設計された道具は、説明書なしで使い方が伝わります。自分のノートや手帳も同じで、見返したときに次の行動が浮かぶ形で書いてあれば、それは外に置いた自分の頭です。全部を頭に入れようとするのをやめて、取り出しやすい外の置き場を一つ作る。それだけで、学びはぐっと軽くなります。

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いちばんの学習環境は他者である

一人で学ぼうとして行き詰まった人に、本書の第4章は視点を変えてくれます。人がよく学べる最大の理由は、他者とともに暮らしていることだ、と著者たちは言います。

名言8【稲垣佳世子・波多野誼余夫】他者こそが優れた学習環境

人々が日常生活の中でよく学ぶことができる大きな理由の1つは、優れた学習環境としての他者とともに暮らしているということがある。

(稲垣佳世子・波多野誼余夫)

出典:『人はいかに学ぶか 日常的認知の世界』(中公新書)p.121
著者たちは、学びを文化的に促す力として、道具や制度よりも「他者の存在」のほうが大きいと見ています。知識を持つ他者は「コーチ」として、まずお手本を示し、つまずいたところで短いヒントを出し、成長につれてその助言を減らしていく。ただ「見守っている」だけでも、学び手の知的な努力を動機づけることがある、とも書かれています。私はこの一文に「優れた学習環境が他者である。この定義をやり切ることが大事」と書き込みました。学習環境と聞くと、静かな部屋や良い教材を思い浮かべます。でも本書の答えは人です。独学が続かないのは、意志が弱いからではなく、環境としての他者がいないからかもしれません。それなら打つ手はあります。同じことを学んでいる人を一人見つける。進み具合を報告する相手を作る。見守ってくれる人が一人いるだけで、学びの能動性は増幅される。本書はそれを、観察に基づいて言い切ってくれます。

名言9【稲垣佳世子・波多野誼余夫】先生より仲間が理解を深める

人々が有能な学び手であるためには、他者の存在が必要なこと、その他者とは関心を共有するが視点の異なる人がよく、必ずしも知識のより豊富な人であるには及ばないことは特に注目される

(稲垣佳世子・波多野誼余夫)

出典:『人はいかに学ぶか 日常的認知の世界』(中公新書)p.134
第4章の後半は、同輩同士のやりとりがなぜ理解を深めるのかを説明します。大人と子どもの会話では、子どもは大人がすでに正答を知っていると知っている。だから「なるほど」と思わせる答えを作る意欲より、大人の考える答えを早く見つけることに力を注いでしまう。ところが仲間同士では、自分の意見を言いたい、相手に教えてあげたいという気持ちが、自然に、しかも強く生まれる。正答がすぐに分からない状態が続くことが、かえって自分の知識を関連づけ、もっともらしい説明を生み出す動機になるのです。知識の差が大きすぎる相手より、関心を共有していて視点が違う人のほうが、学びの相手として向いている。これは、教える側の人にも、学ぶ側の人にも、荷を下ろしてくれる言葉だと思います。詳しい人を探して頼み込まなくていい。同じことに関心を持つ同僚と、分からないまま話し合う時間のほうが、理解は深くなります。先生のいない勉強会は、本書に照らせば、むしろ理にかなった場なのです。

知れば知るほど学びやすくなる

「自分は覚えが悪い」と思っている人に、第5章の言葉を最後に届けます。記憶力の差は、頭の良し悪しではないところから生まれています。

名言10【稲垣佳世子・波多野誼余夫】知っている人ほど覚えることが少ない

新しい材料といえどもそのすべてが新しいわけではなく、今まで知っていた部分があるということである。つまり、適切に既有知識を使うことができれば知っていることプラス少量の新しい情報で、この新しく学ぶべき材料が再現できるのだから、その分野の知識量の多い熟達者はそれだけ覚えなければならないことが少ない、ということになる

(稲垣佳世子・波多野誼余夫)

出典:『人はいかに学ぶか 日常的認知の世界』(中公新書)p.141
よく記憶できるかどうかは、大部分がその分野についてどれほど豊かな知識を持っているかで決まる、と著者たちは書きます。理由はいちばん単純なものです。新しい材料のすべてが新しいわけではなく、すでに知っている部分がある。だから知識の多い人は、知っていることに少量の新しい情報を足すだけで済み、覚えるべき量そのものが少ない。熟達はゆっくり進むけれど、ある程度の知識がたまってはじめて、新しい情報を効率よく取り込めるようになる。私はここに「日ごろから情報を蓄積していればいるほど、効果的に学び取れる」と書き込みました。これは最初がいちばん苦しい、ということでもあります。新しい分野に入った直後は、すべてが新しくて、覚えることだらけです。その時期に「自分は覚えが悪い」と結論を出すのは早すぎる。知識が少し積もれば、同じ努力で入ってくる量が変わります。だから最初の助走だけ、ていねいに、小さく、長く続ける。覚えられない時期を越えた先に、学びが勝手に回り出す地点があります。

まとめ 学びに自信を失った人へ本書が渡すもの

10の言葉を届けてきました。本書の主張をひとつにまとめると、人は教えられなくても、必要から、他者とともに、能動的に学んでいる、ということです。学校の勉強で自信を失った人ほど、この見方に救われるところがあると思います。
正直に付け加えておきます。本書は日常の学びを無条件に賛美してはいません。手続きだけで身についた技能は、条件が変わると通用しなくなる。教えられずに得られる知識には限界があり、人は科学的には支持しがたい素朴な理解を抱えたままでいることも多い。だから、なぜそのやり方でよいのかを内省し、質疑や討論を通じて概念を吟味する「特別の機会」を設けることには十分に意味がある、と著者たちは最後に書いています。日常の学びを信じることと、学ぶ場をあえて作ることは、矛盾しないのです。
読み終えたあと、私が手帳に残したのは一行です。学びは副産物でいい。今日、必要に迫られて何かを調べた。誰かと分からないまま話した。それがすでに学びです。できたことを一行だけ書いて、進歩を素直に喜ぶ。そこから始めれば十分だと、この本は言ってくれています。

この記事で読んだ本
『人はいかに学ぶか 日常的認知の世界』稲垣佳世子・波多野誼余夫(中公新書)
本記事の引用はこの本からです。全体で約200ページ。新書なので通勤の往復で読み切れますが、学びに自信をなくしている時期にこそ、手元に置いて読み返したい一冊です。

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