外山滋比古の名言61選|思考・読書・忘却・老いを語った言葉

外山滋比古の名言61選。思考・読書・忘却・老いについて語った言葉を、どんな場面で効くのかを添えて紹介します。
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外山滋比古の名言には、「考える」「読む」「忘れる」「老いる」という、誰もが毎日向き合う営みを軽くする力がある。
『思考の整理学』で彼を知った人は多いだろう。朝の頭は夜より優秀だという観察、忘却こそ思考の整理だという逆説。読んだ当時は驚き、時間がたってから本当の意味がわかる言葉ばかりだ。
この記事では、著書と講演から集めた言葉に、どんな場面で効くのかを一つずつ書き添えた。気になる見出しから読んでほしい。

外山滋比古とはどんな人物か

外山滋比古(とやま しげひこ)は1923年生まれの英文学者・言語学者・エッセイスト。お茶の水女子大学名誉教授で、雑誌「英語青年」の編集長も務めた。専門の英文学にとどまらず、ことば・読書・思考・教育を題材に、平易な文章で数多くの本を書いた。
代表作は1986年にちくま文庫となった『思考の整理学』。東大・京大の生協で長年売上1位を記録したロングセラーで、「グライダー人間と飛行機人間」のたとえは今も読み継がれている。ほかに『忘却の整理学』『乱読のセレンディピティ』『知的文章術』『ライフワークの思想』など著書多数。2020年7月、96歳で逝去した。

外山滋比古の名言61選|思考・読書・忘却・老いを語った言葉

名言1【外山滋比古】教わるだけで終わっていると気づいたとき

学校の生徒は、先生と教科書にひっぱられて勉強する。自学自習ということばこそあるけれども、独力で知識を得るのではない。いわばグライダーのようなものだ。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫、1986年)
『思考の整理学』の冒頭「グライダー」の章に置かれた言葉だ。自力では飛べず、引っぱられて滑空するグライダーに、学校教育で育った人間を重ねている。教わったことを着実にこなしてきた力は本物だ。ただ、「次は何を学ぶか」を自分で決めた経験が少ないなら、まだグライダーのまま飛んでいるのかもしれない。今日「もっと知りたい」と感じたテーマを一つ書き留めてみる。それが、自分の力で飛ぶ練習の最初の一歩になる。

名言2【外山滋比古】言われたことだけで一日が終わった夜に

学校はグライダー人間をつくるには適しているが、飛行機人間を育てる努力はほんのすこししかしていない。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫、1986年)
グライダー人間と飛行機人間。外山がこの対比で問うたのは、学校の善し悪しではなく、卒業後の自分が「自力で飛ぶ練習」をしているかどうかだった。「また言われたことだけやった一日だった」と感じる夜がある。それを責めなくていい。ただ一つ問うてみる。「今日、自分が疑問に思ったことはなにか」。その問いを一行書いた瞬間、人は引かれて滑る側から、自分のエンジンで動く側へ移り始める。

名言3【外山滋比古】AIに仕事を奪われそうで不安なとき

グライダー専業では安心していられないのは、コンピューターという飛びぬけて優秀なグライダー能力の持ち主が現れたからである。自分で翔べない人間はコンピューターに仕事を奪われる。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫、1986年)
1986年刊行の文庫版に、すでにこの一文がある。外山がコンピューターと呼んだものを、今の読者はAIと読み替えるだろう。仕事を奪われるかもしれないという不安は、正直に言えば怖い。でも、その怖さの中心にあるのは「自分で考えたか」という問いだ。誰かの答えをなぞるより、自分の問いを一つ立てる。今日、意見を言う前に「自分はどう思うか」を一行書いてみる。その一行が、機械にはできない飛び方になる。

名言4【外山滋比古】夜に考えても答えが出ないとき

どうも朝の頭の方が、夜の頭よりも、優秀であるらしい。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫、1986年)「朝飯前」章
『思考の整理学』の「朝飯前」の章で、外山は自分の経験からこう書いた。夜遅く、頭をこねくり回しても答えが出ない。そのまま眠れずに朝を迎えた経験はないだろうか。実は、その「答えが出なかった問い」こそ、朝の頭に任せるべきものだ。今夜悩んでいることを一行だけ書いて眠る。翌朝、同じ問いが驚くほど軽く見えることがある。夜の自分が無能だったのではなく、頭の時間帯が違っただけなのだ。

名言5【外山滋比古】後回しの仕事がいつまでも片付かないとき

どんなことでも、朝飯前にすれば、さっさと片付く。朝の頭はそれだけ能率がいい。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫、1986年)「朝飯前」章
「朝飯前」とは本来、朝食前の短い時間でも済むほど簡単なこと、という意味だ。外山はそれを逆手に取り、朝の頭の能率がよいから何でも簡単に見えるのだと解釈した。ずっと後回しにしている仕事が、たいてい一つはある。夜に「明日こそ」と思っても、夜は疲れていて手が動かない。今夜、明日の朝一番にやることを一つだけ決めておく。朝飯前のその時間が、意外なほど「さっさと片付く」時間になる。

名言6【外山滋比古】昨夜の深刻さが朝には薄れていた経験

おもしろいことに、朝の頭は楽天的であるらしい。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫、1986年)「朝飯前」章
同じ「朝飯前」の章にある、少し意外な観察だ。昨夜は「もうダメかもしれない」と追い詰められていたのに、朝起きたらそれほど重く感じない。その経験は、気の持ちようでも意志の強さでもない。外山によれば、朝の頭はそもそも楽天的にできている。だから深刻な夜に結論を出さなくていい。「朝に考えなおす」と一言だけ残して眠る。楽天的な頭が目を覚ますまで、判断を預けておけばいい。

名言7【外山滋比古】仕事中に関係ない記事に目が止まったとき

中心的関心よりも、むしろ、周辺的関心の方が活発に働くのではないかと考えさせるのがセレンディピティ現象である。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫、1986年)「セレンディピティ」章
セレンディピティとは、探していたものとは別の価値あるものを偶然見つける力のこと。外山は「セレンディピティ」の章で、それが中心ではなく周辺の関心から起きると指摘した。仕事中にふと関係のない記事に目が止まる。「寄り道してしまった」と思うが、その引っかかりこそアイデアの種かもしれない。周辺に広がる好奇心を責めなくていい。今日気になったことを、仕事と無関係でも一つ残しておく。

名言8【外山滋比古】締め切り前に考えるほど頭が止まるとき

考えごとをしていて、テーマができても、いちずに考えつめるのは賢明でない。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫、1986年)「セレンディピティ」章
『思考の整理学』には、考えを一度「寝させる」という発想が繰り返し出てくる。締め切りが近いのに、考えれば考えるほど頭が止まる。その経験があるなら、考えつめること自体が原因かもしれない。思考は、手を離したときにも動いている。10分考えて答えが出なかったら、いったん手帳を閉じて別のことをする。戻ってきたとき、問いの形が変わっていることに気づく。それが外山の言う賢明さだ。

名言9【外山滋比古】やる気が出ない自分を責めてしまう夜に

人間は意志の力だけですべてをなしとげるのは難しい。無意識の作用に負う部分がときにはきわめて重要である。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫、1986年)「セレンディピティ」章
外山が無意識の働きを重んじたのは、発見や発想の多くが、意識して考えていない時間に生まれるという事実を見ていたからだ。「やる気が出ない自分が悪い」と責めてしまう夜がある。でも、意志の力だけですべてをなしとげることは、もともと難しい設計になっている。やる気より「仕組み」を信じていい。朝の習慣でも、道具の置き場所でも、無意識を味方につける工夫が思考を動かす。

名言10【外山滋比古】丁寧に読むほど内容が入ってこないとき

ことばでも、流れと動きを感じるのは、ある速度で読んでいるときに限る。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫、1986年)p.63
外山は英文学者として、ことばを一語ずつ辞書で確かめる読み方の限界を知っていた。丁寧に読もうとするほど、内容が頭に入ってこない。一語一語を追いかけて、気づけば読む気を失う。ことばの「流れと動き」を感じるには、ある速度が要る。次に本を開くとき、少し速めに読み流してみる。引っかかった一節だけ戻ればいい。わからない箇所を飛ばす勇気が、本を最後まで連れていってくれる。

名言11【外山滋比古】本命とは別の調べものが役に立ったとき

科学者の間では、こういう行きがけの駄賃のようにして生まれる発見、発明のことを、セレンディピティと呼んでいる。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫、1986年)p.66
「行きがけの駄賃」とは、何かのついでに得られる思いがけない利益のこと。外山はこの日本語で、科学史の発見の多くが脇道から生まれたことを言い表した。本命とは別の調べものや会話の脱線で見つけた情報が、後になって核心をつくことがある。「また関係ない話に寄り道した」と思う必要はない。偶然の発見は、前に進もうとしていた人にしか訪れない。歩いているから、駄賃がもらえるのだ。

名言12【外山滋比古】せっかく覚えたことを忘れてしまったとき

忘却は困ったことではない。それどころか記憶と同じくらい大切な心的活動だと考えるべきである。記憶と忘却は、「車の両輪のようなもの」と言うこともできるが、呼吸のようなものと考えた方が妥当だ。息を吸わなければ吐けないように、忘却しなければ記憶することもできない。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『忘却の整理学』(ちくま文庫)
『忘却の整理学』は、『思考の整理学』から長い年月をへて書かれた続編にあたる本だ。外山が晩年に力を注いだテーマが、この「忘却」だった。「せっかく覚えたのに忘れた」と責める前に立ち止まってみる。忘却は記憶の失敗ではなく、次を受け取るための「呼吸」だ。昨日読んだことが今日飛んでいても、それは脳が次に備えて息を吐いた証拠。また吸えばいい。忘れる自分を許すことが、覚える力を取り戻す第一歩になる。

名言13【外山滋比古】読んだ本の内容が翌月にはぼんやりするとき

ナマの知識は使いものにならない。忘却をくぐらせて枯れた知識のみが新しい知見を生み出す。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『忘却の整理学』(ちくま文庫)
「枯れた知識」という言い方が独特だ。切ったばかりの生木は燃えにくく、枯らしてはじめて薪になる。外山は知識も同じだと考えた。本を読んだその日は「わかった気」がして、翌月には内容がぼんやりする。責めるべきは記憶力ではない。忘却をくぐった知識だけが、自分の言葉で語れるものに変わる。読んで忘れて、また開く。その往復の中でしか、知識は「枯れて」いかない。

名言14【外山滋比古】オリジナルのアイデアが出ないと焦るとき

独創の土壌になるのが忘却である。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『忘却の整理学』(ちくま文庫)
忘却が独創の土壌だという言葉は、常識の逆を行く。外山は、記憶が整然と並んでいる頭からは、新しい組み合わせが生まれにくいと見ていた。「オリジナルのアイデアが出ない」と焦るとき、頭が整理されすぎていることがある。独創は、一度忘れてから再び浮かび上がった断片から生まれる。昨日書いたメモを一週間後に読み返す。そこに、書いたときには見えなかったつながりが現れることがある。

名言15【外山滋比古】書いた企画書を送信する前に

初考は、なお、生々しく、不純なものを含んでいる。しばらくして、つまり風を入れてから、もう一度、考えなおす。再考である。多くはここどまりだが、念の入った推敲を試みるなら、三考が必要になる。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『忘却の整理学』(ちくま文庫)
初考・再考・三考。外山は『忘却の整理学』で、考えを練り上げる段階にこう名前をつけた。「風を入れる」とは、時間を置いて忘却に一部をゆだねることだ。書いた企画書や文章は、送信前に一度寝かせてみる。初考は生々しい。一晩置いて読み返すだけで、言いたいことの輪郭がはっきりしてくる。風を入れてから再考する。その一手間が、伝わるものと伝わらないものを分ける。

名言16【外山滋比古】また忘れてしまったと落ち込んだとき

ものごとを教える──覚えさせる──のにはあらゆる努力が払われるのに、忘れることの価値は考えられることすらない。むしろ、忘れたといっては、ひどい目に会わされるのだから、学校が忘却恐怖症の発祥地であると言ってよかろう。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『ライフワークの思想』(ちくま文庫)
学校を「忘却恐怖症の発祥地」と呼ぶ。英文学者であり、長く教壇にも立った外山だからこそ言える皮肉だ。「また忘れてしまった」と落ち込む気持ちはわかる。でも忘れることを責め続けるのは、学校が刷り込んだ恐怖かもしれない。忘却はサボりではなく、心が次を迎える準備をしている証だ。忘れたと気づいたとき、自分を責めるより「もう一度」と動く方が、はるかに前へ進む。

名言17【外山滋比古】何時間も読んだのに自分の意見が出てこないとき

本べったりになっていると、読んでいるつもりの本に呑み込まれていて、自分を見失ってしまう。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)
『乱読のセレンディピティ』は、外山が90歳を過ぎてから出した読書論だ。本べったり、という言い方には、本を愛しすぎる人への警告がこもっている。気づけば何時間も読んでいる。でも「自分はどう思ったか」が出てこない。それは本に呑み込まれているサインだ。一区切りついたら本を閉じ、「自分の言葉」でノートに一行だけ書く。その一行が、読んだ本を「自分のもの」にする。

名言18【外山滋比古】勉強も読書も積み上げたのに言葉が出ないとき

知識は得られても、みずから考える力は育たない。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)
知識と考える力は別物だ、という主張は外山の著作を貫く軸である。資格の勉強も読書も、インプットは着実に積み上がる。でも「自分はどう考えるか」を問われると言葉が出てこない。それは怠けていたからではなく、別の筋肉を使っていなかっただけだ。読んだ後、スマホを置いて五分だけ「で、自分はどう思う?」と書いてみる。その小さな習慣が、知識と思考の差を埋めていく。

名言19【外山滋比古】全部理解しなければと構えて本が進まないとき

風のごとく、さわやかに読んでこそ、本はおもしろい意味をうち明ける。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)
「風のごとく」読む。外山は『乱読のセレンディピティ』で、精読一辺倒の読書観から読者を解放しようとした。「全部理解しなければ」と構えて読むほど、本は硬く閉じていく。完璧に読もうとしなくていい。気楽に、気になる一節だけ拾う。さわやかに読んだとき、本はふとした瞬間に「意味をうち明ける」。読み終えたら一行だけ書き残して閉じる。それでその本との付き合いは、もう十分に深い。

名言20【外山滋比古】知識は増えたのに現場で役立てられないとき

本を読んでものを知り、賢くなったように見えても、本当の人間力がそなわっていないことが多い。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)
本を読んで賢くなることと、人間力がそなわることは別だ。外山は読書家であればこそ、この落とし穴を正直に書いた。知識は増えたのに、実際の場面で役立てられないと感じるのは珍しいことではない。だからといって本を閉じる必要はない。読んだことを一つだけ、今日の仕事や会話で試してみる。小さく行動した先に、本当の人間力が育つ。読書は、動いてはじめて血肉になる。

名言21【外山滋比古】会議でうなずいたのに内容を思い出せないとき

わかる、のではなく、わかったような気がするのである。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)
外山がここで疑ったのは、本を読んだときの「わかった」という感覚そのものだ。会議でうなずいたのに、後で内容が思い出せない。それは能力の問題ではなく、「わかったような気がした」だけかもしれない。責めるべきは自分の頭ではない。「まだ曖昧だ」と正直に認めた瞬間、本物の問いが生まれる。わかったふりをやめることが、わかるための最初の一歩になる。

名言22【外山滋比古】プレゼンで言葉が出てこなかった夜に

文章の上手、下手は、技術の問題であるけれども、話すことがりっぱであるのは、その人の心、頭のはたらきそのものを反映する。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)
雑誌「英語青年」の編集長を務め、ことばを扱い続けた外山らしい観察だ。文章は技術で磨ける。でも話すことがりっぱであるかどうかは、その人の心と頭のはたらきそのものが映る。プレゼンで言葉が出てこなかった夜、「話し下手だから」と自分を責めた経験はないだろうか。伝わらなかったのは話し方のせいではなく、頭の中が整っていなかっただけかもしれない。次に発言する前に、「一番言いたいこと」を一文だけ決めておく。

名言23【外山滋比古】もらった本がいつまでも読めないとき

本は買って読むべきである。もらった本はありがたくない。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)
本は買って読め。外山はこれを倹約の話ではなく、読む姿勢の話として書いた。「もらった本」は読まない。意志が弱いからではなく、自分の選択でないから体が動かないのだと、外山は見抜いていた。責めるべきは継続力ではない。自分の財布で選んだ本は、それだけで「読む理由」になる。今月、自分が本当に読みたい本を一冊だけ選んで買う。身銭を切った分だけ、本は自分に近づいてくる。

名言24【外山滋比古】読みやすい本ばかり手に取ってしまうとき

おもしろい本とためになる本があれば、たいてい、おもしろい本が悪書、ためになる本は良書になる。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)
おもしろい本が悪書で、ためになる本が良書になる。外山はこの逆説を、読書を甘く見てはいけないという警告として書いた。週末、つい「読みやすそう」な本を手に取ってしまう。読み終えた満足感は大きいが、何かが変わった気はしない。おもしろさだけを求めた本は、読後に爪痕を残さない。向上心が足りないのではない。今週、積読の中から少し「難しそう」な一冊を手に取ってみる。

名言25【外山滋比古】読まなければというプレッシャーで本が義務になったとき

本を読むにも、散歩のような読み方をすれば、思いがけないことを発見できるのではないかと考えるようになった。乱読である。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)
乱読という言葉を、外山は肯定的に使った。計画も目的もなく、散歩のように歩き回る読書にこそ、思いがけない発見が待っていると考えたからだ。「読まなければ」というプレッシャーで、本が義務になっていないか。最初から全部読もうとするから苦しい。気の向くまま、どこで止まっても、どこから読み返してもいい。最後まで読まなくていい。その自由さが、読書を再び楽しいものに戻してくれる。

名言26【外山滋比古】冊数は増えたのに自分が変わらないと焦るとき

読書がいけないのではない。読書、大いに結構だが、生きる力に結びつかなくてはいけない。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)
読書を否定しない。でも読書が「生きる力」に結びつかなければ意味がない。外山は読書家だからこそ、ここに線を引いた。本を読むほどに、「でも自分は何も変わっていない」という焦りが増すことがある。問うべきは読書量ではなく、読んだことが自分の選択や行動に接続しているかどうかだ。今日読んだ一節を、誰かに話してみる。口に出した瞬間、その言葉は知識から力に変わり始める。

名言27【外山滋比古】うまい言葉が出てこないとき

ことばの表現は心であって、技巧ではない。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『知的文章術』(大和書房)
『知的文章術』で外山は、文章の技巧を教える前に、まず心の問題だと言い切った。うまい言葉が出てこない。センスがないから、と諦めてしまいがちだ。でも言葉の表現力は技巧の問題ではない。心にあるものが、そのまま言葉になる。飾ろうとするより、正直に伝えようとした言葉のほうが、ずっと深く届く。今日書くメールの一文を、うまく見せる言葉ではなく、本当に思っている言葉で書いてみる。

名言28【外山滋比古】どう書けばいいか考えすぎて手が止まるとき

案ずるより書くはやさしい。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『知的文章術』(大和書房)
「案ずるより産むが易し」をもじった一言だ。外山自身、多作のエッセイストとして、書き始めてはじめて考えが動く経験を重ねていた。「どう書けばいいか」を考えすぎて、ずっと手が止まっている。そういうとき、言葉は考えの中からは出てこない。書き始めることで、言葉はようやく動き出す。今夜、書こうと思っていたメールや文章を、下手でもいいから一行だけ始めてみる。

名言29【外山滋比古】長い文章のどこから手をつければいいかわからないとき

書き出しの一文と、末尾がきまれば、それでもう半分はできたようなものだ。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『知的文章術』(大和書房)
書き出しと末尾さえ決まれば半分はできた。外山はこの言い切りで、文章を「頭から順番に書くもの」という思い込みから解放した。長い文章を書くとき、どこから手をつければいいかわからなくなる。それはすべてを同時に考えようとしているからだ。次に文章を書くとき、まず「最後の一文」から決めてみる。書き出しは、末尾を決めてからの方が決めやすい。着地点が見えれば、途中の道筋は自然とつながっていく。

名言30【外山滋比古】何度も消して書き直してしまうとき

速く書かれたものが、遅筆の人が考えたがるように、必ずしも雑ぱくな文章ときまったものでもない。速く書いたために、筆勢があって、読んでいると、その流れに乗せられて独特な快感を覚える。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『知的文章術』(大和書房)p.68
速く書いた文章には「筆勢」がある。遅筆の人が恐れる「雑ぱく」とは別の、生きた流れが宿る。外山はこの点で、丁寧さ信仰に異を唱えた。「ちゃんと整えてから」と言い聞かせ、何度も消して書き直してしまう夜がある。でも推敲で整えた文章には出せない勢いが、一気に書いた文章にはある。今日は10分だけ、手を止めずに書き切ってみる。直すのはその後でいい。

名言31【外山滋比古】ライフワークなんて自分には無縁だと思うとき

ライフワークの花を咲かせることはあらゆる人に可能である。この花は晩年になって始めて結実する。そのためには自由時間の使い方を考えなくてはならない。自分の生きがいとなり、人生の豊かさにつながる、能力の備蓄をすることが必要だ。バッテリーは使い切るまえに絶えず充電しなくてはならない。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『ライフワークの思想』(ちくま文庫)
『ライフワークの思想』で外山は、ライフワークは特別な人のものではなく、あらゆる人に可能だと書いた。鍵は自由時間の使い方と、「能力の備蓄」にある。「ライフワークなんて自分には無縁」と感じたことがあるかもしれない。でも花は晩年になって咲く。今できることは、好奇心という根に水をやることだ。今日の自由時間に「面白そう」と思ったことを30分だけやる。それが将来の自分へのバッテリーの充電になる。

名言32【外山滋比古】もうこの年だからとやりたいことを飲み込むとき

人生80年、物心がない最初の10年を除いて二等分すると折り返しは45歳。ここを過ぎたらこれまでと反対の方向に走ることが前進になる。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『ライフワークの思想』(ちくま文庫)
人生80年の折り返しは45歳。外山はこの計算で、後半生は前半と「反対の方向」に走れと提案した。前半で積み上げたものにしがみつくのではなく、手放す側に回ることが前進になるという発想だ。「もうこの年だから」と、やりたいことを飲み込んでいないだろうか。ずっと避けてきたこと、やったことのないことを書き出してみる。それが今の自分の進路かもしれない。

名言33【外山滋比古】終わりの見えない仕事に向き合っているとき

けわしい山をあえぎあえぎ登って行って頂上をきわめたときには、すばらしい達成感を味わうことができる。その眺望はこの世のものとは思われない。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『読書の方法』(講談社現代新書、1981年)
『読書の方法』は1981年、『思考の整理学』が文庫になるより前に書かれた一冊だ。山登りのたとえで、外山は難しい本を読み通す苦しさと、その先にある達成感を語っている。終わりが見えない仕事に、今日も向き合っている。苦しい、でもそれでいい。険しいほど、頂上からの眺めはこの世のものとは思われないのだから。今登っている「山」の名前を書いてみる。あえぎながらも、確かに前へ進んでいる。

名言34【外山滋比古】歩くだけの散歩で満足していたとき

あるとき、足だけに散歩させて喜んでいるのはおかしいではないかと気がついて、手も、口も、耳目も、頭も、動くところはすべて散歩させないといけないと悟って、五体の散歩を唱えるようになった。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)
「五体の散歩」は外山が晩年に唱えた独自の言葉だ。足だけを散歩させて喜んでいるのはおかしい、と自分で気づいたところから生まれた。手も、口も、耳目も、頭も動かす。それが外山流の散歩である。歩くだけの散歩が「本当の散歩」だと思い込んでいなかっただろうか。今日の散歩は、見えたものを一つ声に出してみる。そのひと言が、散歩を五体のものにし、頭まで動かし始める。

名言35【外山滋比古】最近何もやる気が出ないと感じる日に

人間も、生きているのは、動いているからである。動くことをやめれば、活力を失う道理である。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)
流れる水は腐らない。この古いことわざを、外山は人間にそのまま当てはめた。生きているのは動いているからで、動くことをやめれば活力を失う道理だと。「最近、何もやる気が出ない」と感じる日がある。それは意志の問題ではなく、止まっているからかもしれない。やる気が出てから動くのではなく、動くからやる気が出る。今日、小さくでいいので一つ動く。それが活力を呼び戻す。

名言36【外山滋比古】自分を褒めるのが恥ずかしいと感じるとき

自慢を嫌うのは、古い考えである。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)
自慢を嫌うのは古い考えだ。謙遜を美徳とする文化の中で、外山はあえてこう言い切った。「自分を褒めるなんて恥ずかしい」という感覚はどこから来たのだろう。できたことを言葉にする。それは傲慢ではなく、自分の力を確かめる行為だ。自慢できるものがある人は、それだけ動いてきた人でもある。今日、一つだけ自分を認める言葉を書いてみる。恥ずかしさの向こうに、次に進む力がある。

名言37【外山滋比古】もっと本を読まなければと焦っているとき

本なんか読んでいたってダメ。本は、固定された内容と1対1で向き合っているだけ。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)
本なんか読んでいたってダメ。読書論の名著を書いた本人の言葉だから、重みがある。外山がここで言う「ダメ」は読書の否定ではなく、本だけで完結させることへの問いだ。本は固定された内容と一対一で向き合うしかない。「もっと本を読まなければ」と焦っているのに、それが本当に足りないものかを問わずにいないだろうか。読んだことを誰かに話す。その会話が、固定された内容に命を吹き込む。

名言38【外山滋比古】40歳を過ぎて本ばかり読んでいるとき

40歳を超えたら、自分で考えないと。活字から離れて、違ったタイプの人間から学ぶ。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)
40歳を境に、学び方を変えろ。外山は活字から離れ、「違ったタイプの人間から学ぶ」ことを勧めた。「本を読む人は成長する」という信念を持って生きてきた人ほど、この言葉は刺さる。それは正しい。でも40を過ぎたら、「自分で考える」が問われるフェーズに入る。本は答えを教えてくれるが、問いは人との会話から生まれる。今週、本ではなく、普段会わないタイプの人と話す時間を一つつくる。

名言39【外山滋比古】感動した言葉まで忘れてしまったとき

だいたい人間は忘れるようにできており、それが自然だからです

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
人間は忘れるようにできている。外山は講演やインタビューでも、この考えを繰り返し語った。勉強したことも、感動した言葉も、気づけば消えていく。それを「意志が弱い」と責め続けてきたかもしれない。でも忘れることは、人間の設計上の自然だ。忘れても、また出会える。その繰り返しの中で、本当に必要なものだけが残っていく。残ったものこそ、自分にとって本物の言葉なのだ。

名言40【外山滋比古】立ち止まって考えてばかりいるとき

人間というのは自転車と同じです。止まるとダメなのです。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
自転車は走っているときだけバランスが取れる。止まると倒れる。人間も同じだと外山は言う。90歳を過ぎても執筆を続けた本人が言うからこそ、説得力がある。「立ち止まって考えよう」は大切だが、考えながら動く方がずっと安定する。完璧な計画ができるまで待っていると、倒れてしまう。今日、一歩でいいので動き続ける。ペダルを踏んでいる限り、人は倒れない。

名言41【外山滋比古】転んだ数を数えて落ち込んでしまうとき

失敗して転んだら立ち上がる。また転んだら、また立ち上がる。これが人間の価値を決定します。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
転んだら立ち上がる。また転んだら、また立ち上がる。これが人間の価値を決める、と外山は言った。転んだ数ではなく、立ち上がった数だ。転んだ数を数えて落ち込んでしまう夜がある。でも、立ち上がった数は、転んだ数と同じだけある。何度転んでも、立ち上がった自分がいる。それで十分だ。今日転んだなら、もう一度だけ立ってみればいい。立つたびに、人間の価値は積み上がっていく。

名言42【外山滋比古】頑張ったのに結果が出ないとき

努力をすれば必ず成功するんだという根拠のない常識は、即刻捨てなくてはなりません。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
努力すれば必ず成功する、という常識を即刻捨てろ。励ましの言葉が並ぶ世の中で、外山の言葉は冷たく聞こえるかもしれない。でも「頑張ったのに結果が出ない」という苦しさは、「努力すれば報われるはず」という思い込みと対になっている。結果は、努力の外にある条件にも左右される。だから努力は自分のためにする。報われなくても、努力は確実に自分を育てている。その常識を手放したとき、努力は軽くなる。

名言43【外山滋比古】やりたいことがないと感じる日に

面白いことに夢中になって年を忘れているうちに死ぬ。これが一番。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
面白いことに夢中になって年を忘れているうちに死ぬ。これが一番。96歳まで書き続けた外山の言葉として読むと、理想論ではなく実践録に聞こえる。「やりたいことがない」と感じる日がある。でも、それは本当に「ない」のではなく、「面白い」と感じることを後回しにしているだけかもしれない。今日、一つだけ「面白そう」と思ったことを10分やってみる。年を忘れる入口は、そこにある。

名言44【外山滋比古】覚えておかなければと全部メモしているとき

思考の整理とは、いかにうまく忘れるかである。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
思考の整理とは、いかにうまく忘れるかである。『思考の整理学』という書名を知る人ほど、この一言に驚く。整理とは蓄えることではなく、手放すことだったのだ。「覚えておかなければ」と全部メモしていると、頭の中がぎゅうぎゅうになる。今日、一つだけ「もう考えなくていいこと」を決めて、頭から出す。そのスペースが新しい思考を招く。捨てる判断ができたとき、頭は本当に整理され始める。

名言45【外山滋比古】もっと早くできるはずなのにと焦っているとき

努力しても、できないことがある。それには、時間をかけるしか手がない。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
努力しても、できないことがある。それには時間をかけるしかない。長く学問に向き合った外山だからこそ、努力の限界を正直に認めた。「もっと早くできるはずなのに」という焦りで、自分を急かし続けていないだろうか。努力が届かないことには、時間という解決しかない。急げないことは、焦っても早くならない。今日できることをして、後は時間に任せる。それが、誠実な努力の形だ。

名言46【外山滋比古】スマホを開くたびに誰かの成功が目に入るとき

余計な事を知るから人間は苦しみ、悩み、そして自滅することすらある。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
余計なことを知るから人間は苦しむ。知の人である外山が、知ることの弊害を語っているところに、この言葉の深さがある。スマートフォンを開くたびに、誰かの成功と自分の現実が目に入る。知らなければよかった情報で、余計に苦しくなる。情報過多の今、この言葉はいっそう刺さる。知らないでいる自由も、自分で選べる。今日、一時間だけスマホから離れてみる。その一時間に、本当に考えたいことが浮かんでくる。

名言47【外山滋比古】失敗を恐れて一歩が踏み出せないとき

マイナス経験は早い内にするほど良い。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
マイナス経験は早いうちにするほどいい。若いころの失敗を「もったいなかった」と振り返る人は多い。でも外山は逆のことを言った。早いほどいい、と。傷は若いうちに負うほど、回復も速く、次の判断材料になる。今、失敗を恐れているなら、それはまだ「早いうち」の可能性が高い。先延ばしにした失敗は、あとで大きくなって戻ってくる。小さく転べるうちに、転んでおく。

名言48【外山滋比古】なぜこんなに苦しい思いをするのかと思う時期に

苦しい経験が判断力を生む。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
苦しい経験が判断力を生む。1923年生まれの外山は、戦中戦後の激動を若い日に生きた世代だ。言葉の重みはそこから来る。「なんでこんなに苦しい思いをしなければいけないのか」と感じる時期がある。でも判断力は、苦しい経験の蓄積からしか生まれない。今の苦しさは、未来の自分の判断力になっている。今日の困難を、未来への投資として受け取る。苦しんだ分だけ、次に迷ったとき見える道が増える。

名言49【外山滋比古】批判してくる人と向き合うのが消耗するとき

敵は味方よりも人間を成長させてくれる。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
敵は味方よりも人間を成長させる。気が合わない人、批判してくる人と向き合うのは消耗する。それでも外山は「敵こそが成長させる」と断言した。味方は肯定してくれるが、問い直す機会はくれない。反論されて初めて気づくこと、否定されて初めて問い直すことがある。今日、自分に反する意見を一つ、正面から受け取ってみる。腹が立った意見ほど、自分の盲点を正確に突いている。

名言50【外山滋比古】知識が出てきた瞬間に考えが止まるとき

知識が思考の邪魔をする。これはやはり真実である。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
知識が思考の邪魔をする。『思考の整理学』以来、外山が言い続けてきた主題だ。「これは〇〇の理論で説明できる」と知識が出てくると、もうそこで考えが止まる。知識は思考の起点になるはずが、終点になってしまう。知らない人のほうが、素朴な問いを立てられることがある。今日、「なぜ?」という問いを、知っている答えで終わらせずに、もう一歩先へ持ち続けてみる。答えを知っていても、知らないふりで問うてみる価値がある。

名言51【外山滋比古】インプットを増やすほど賢くなると思っていたとき

むやみと情報、知識を集めて喜ぶのは幼稚である。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
むやみと情報を集めて喜ぶのは幼稚だ。厳しい言葉だが、情報が無限に手に入る時代への警告として読める。インプットを増やすほど賢くなると思っていた。でも情報を集める行為自体に満足してしまうと、使えない知識の山ができるだけだ。「集めた」ではなく「使った」を問う。今日学んだことを一つ、何かの判断や行動に結びつけてみる。使われた知識だけが、幼稚さを脱して自分の力になる。

名言52【外山滋比古】条件はいいがやりがいのない仕事を選ぼうとするとき

面白いっていう事をもっと大事にして、面白くない事は儲かってもダメで、偉くなっても面白くない事はダメ。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
面白くないことは、儲かってもダメ。偉くなってもダメ。外山はこう言い切った。「やりがいはないけど、条件がいい」で選んだ仕事や役割が、やがて疲弊の原因になることがある。条件より「面白い」を優先した選択が、長い目で見て人を育てる。90歳を過ぎて本を書き続けた外山自身が、その証明だ。今の仕事に「面白い」を一つ見つけてみる。見つからなければ、それも大事な情報になる。

名言53【外山滋比古】失敗の反省が延々と続く夜に

失敗したらね、ぐじぐじしない。過去形で、いつも前見て忘れちゃうの。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
失敗したらぐじぐじしない。過去形で、前を見て忘れちゃう。口語のままの言葉に、外山の人柄がにじむ。失敗した後、「なぜあのときああしなかったのか」と反省が延々と続く夜がある。反省は大切だが、ぐじぐじは違う。忘却を肯定した外山らしく、失敗もまた忘れていいものに含まれる。失敗は終わったことだ。一度だけ振り返って、あとは前を向く。忘れることが、次の挑戦の準備になる。

名言54【外山滋比古】失敗が怖くて最初の一歩が踏み出せないとき

転んだら立ち上がればいい。何回も転ぶと転ぶのなんか怖くない。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
何回も転ぶと転ぶのなんか怖くない。失敗するのが怖くて、最初の一歩が踏み出せないことがある。でも転ぶことへの恐怖は、一度転んで立ち上がった経験でしか消えない。外山は転ぶ回数を減らすのではなく、増やすことで怖さを消せと言う。今日一つ、失敗してもいいので試してみる。転ぶ練習が、怖さを消していく。転び慣れた人だけが、大きな挑戦を軽やかに始められる。

名言55【外山滋比古】なぜこれは覚えているのにあれは忘れるのか

おもしろいことは忘れられない。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
おもしろいことは忘れられない。忘却を語り続けた外山が、記憶に残るものの条件をこう一言で言い表した。「なぜこれは覚えているのに、あれは忘れるのか」と不思議に思うことがある。答えは単純かもしれない。面白かったから、覚えているのだ。記憶力の問題ではない。今日学ぶなら、「面白い」と感じる角度から入る。それだけで記憶の定着率が変わる。面白がる力が、そのまま記憶する力になる。

名言56【外山滋比古】SNSで大きな声が多数派に見えるとき

声をあげるのは、どちらかといえば、例外的な人たち、すくなくとも少数派である。それをわきまえないと、間違ったことを信じこむことになりかねない。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
声をあげるのは少数派。それをわきまえないと間違ったことを信じこむ。言語学者として、ことばと社会の関係を見てきた外山の指摘だ。SNSで大きな声が多数派に見えることがある。でも声の大きさと数は別物だ。周囲の声に流される前に、一度立ち止まって「これは本当に多くの人がそう思っているのか」と問う。沈黙している多数の存在を思い出すだけで、思考の精度は上がる。

名言57【外山滋比古】同じことの繰り返しに停滞感を覚えるとき

流れる水は腐らない。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
流れる水は腐らない。外山が好んで引いたことわざで、著作でも講演でもたびたび登場する。同じことを繰り返す毎日に、停滞感を覚えることがある。流れを止めると腐る、と外山は言った。新しいことに手を出す必要はない。今日の仕事に、昨日と少し違う角度を一つ加えるだけでいい。それが「流れる」ということだ。水は大きく動かなくても、少し流れているだけで澄んでいる。

名言58【外山滋比古】情報が増えるにつれ考えが重くなるとき

頭はとかくゴミが溜まりやすいのです。忘れて覚えて、忘れて覚えていくことが大切です。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
頭にはゴミが溜まりやすい。忘れて覚えて、忘れて覚えていく。外山の忘却論を、一番わかりやすく言い直した言葉だ。情報が増えるにつれて、考えが重くなる感覚はないだろうか。頭にはゴミが溜まる。定期的に出すことが、新しいものを受け取る余地を生む。今日、頭の中にある「もう考えなくていいこと」を一つ手放す。そのスペースが次の思考を生む。掃除をしてはじめて、部屋は使えるようになる。

名言59【外山滋比古】同僚との会話から新しいものが生まれないとき

同じ業種の人と集まって喋ったって、全然おもしろくない。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
同じ業種の人と集まって喋っても面白くない。外山は、専門の違う仲間との雑談から発想が生まれると考え、それを実践していた。同僚や同業者との話は安心だが、新しいものが生まれにくい。知っていることを確認し合うだけで終わるからだ。今日、自分とは全く違う仕事や趣味を持つ人と話してみる。その会話の中に、次のアイデアの芽が隠れている。わからない話ほど、頭に風を入れてくれる。

名言60【外山滋比古】机の前でアイデアが出ずに頭を抱えているとき

アイディアは、いつどこであらわれるか知れない

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
アイディアはいつどこで現れるか知れない。『思考の整理学』にも、ふと浮かんだ着想を逃さないための工夫が書かれている。「いいアイデアが出ない」と机の前で頭を抱えていても、答えは来ない。思考は、机を離れたときにこそ動く。いつでも書き留められるように、常に手帳を持つ。シャワー中でも、散歩中でも、アイデアはやってくる。来たときに捕まえられる人だけが、アイデアの人になる。

名言61【外山滋比古】すき間時間までスマホで埋めてしまうとき

何もしないでボーッとする時間をもつことだ。

(外山滋比古)

出典:外山滋比古(インタビュー・講演記録より)
何もしないでボーッとする時間をもつこと。「生産性を上げなければ」と、すき間時間までスマホで埋めてしまう。でも外山は、ボーッとする時間こそ思考に必要だと言った。思考は意識が手を離したとき、無意識の中で進む。朝の頭も、寝させた考えも、すべてこの空白から生まれる。今日、5分だけ何もしない時間をつくる。その5分が、頭の整理をしてくれる。空白は怠けではなく、思考の仕込みの時間だ。

まとめ

読み通して気づくのは、外山滋比古が一貫して「頭を軽くすること」を勧めていたことだ。覚えるより忘れる。考えつめるより寝させる。夜より朝。読むだけでなく動く。どれも、頑張り方を足すのではなく、減らす方向の助言である。
今夜、一つだけ試してみてほしい。悩んでいることを一行書いて、朝の頭に預けて眠る。朝起きて、その一行を読み返す。それだけで、外山の言葉が自分の経験になる。そこから、この記事のどの言葉が自分のものになるか、ゆっくり選んでいけばいい。

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