ボブ・マーリーの名言35選|心に刺さる言葉と解説

ボブ・マーリーの名言35選を歌詞とインタビューから厳選。「心配しなくていい」の背景にある銃撃・貧困・信仰を知ると、励ましの言葉が自分の場面で使えるようになります。
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「心配しなくていい。どんな些細なことでもすべてうまくいく」。ボブ・マーリーの名言は、レゲエの軽やかなリズムに乗って、いまも世界中の人の背中をさすり続けています。けれどその言葉の裏には、ジャマイカの貧民街で育ち、自宅で銃撃を受け、36歳で世を去った男の、決して軽くはない人生があります。
この記事では、歌詞とインタビューから35の言葉を選び、どんな状況で語られたのかを添えて解説します。励ましの言葉だけでなく、ラスタファリの信仰、政治への距離感、お金と豊かさへの考え方まで、彼の思想を丸ごと受け取れる構成にしました。
仕事や人間関係でひとつのドアが閉まったように感じているとき、どれか一つでも「自分の言葉」として持ち帰ってもらえたら嬉しいです。

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ボブ・マーリーとはどんな人物か

ボブ・マーリー(1945〜1981)は、ジャマイカ生まれのレゲエ・ミュージシャンです。白人の父と黒人の母のあいだに生まれ、首都キングストンの貧民街トレンチタウンで育ちました。1963年にザ・ウェイラーズを結成し、『Exodus』『Survival』などのアルバムで、レゲエをジャマイカの音楽から世界の音楽へ押し上げます。ラスタファリ運動の信仰を土台に、貧困・人種・平和を歌い続け、1978年には対立する2人のジャマイカの政治指導者をステージ上で握手させました。1981年、皮膚がん(メラノーマ)のため36歳で死去。没後も『One Love』『No Woman No Cry』などの歌は世界中で歌い継がれています。

ボブ・マーリーの名言35選

名言1【ボブ・マーリー】心配で動けなくなった朝に

心配しなくていいんだよ。どんな些細なことでもすべてうまくいくからさ。

(ボブ・マーリー)

1977年のアルバム『Exodus』に収められた「Three Little Birds」の一節です。この時期のマーリーは、前年に自宅で銃撃を受け、故郷を離れてロンドンで暮らしていました。その渦中で「うまくいく」と歌えたのは、戸口にとまった三羽の小鳥のさえずりに耳を傾ける姿勢があったからだと思えます。不安で頭がいっぱいのときほど、窓の外の音に意識を向けてみる。そこがこの歌の入り口です。

名言2【ボブ・マーリー】過去を抱えたまま前を向きたいとき

これからの明るい未来のなかでも、君は過去を忘れることはないんだ。だからもう、涙をふいて。

(ボブ・マーリー)

「No Woman No Cry」は、キングストンの貧民街トレンチタウンでの日々を歌った曲です。政府が建てた共同住宅の庭で火を囲み、粥を分け合った記憶が歌詞に出てきます。この一節が優しいのは、未来のために過去を捨てろと言わないところです。貧しさも別れも忘れなくていい。抱えたまま前へ進んでいいのだと、涙をふくことを促します。つらかった時期をなかったことにしなくても、人は次の場所へ歩いていけます。

名言3【ボブ・マーリー】ひとつの道が閉ざされたとき

ひとつのドアが閉まっている時、もっとたくさんのドアが開いているんだよ。

(ボブ・マーリー)

1976年のアルバム『Rastaman Vibration』の「Rat Race」で歌われた一節です。曲そのものは、出世競争や政治の駆け引きに巻き込まれる人々を描いた厳しい歌です。その中で、閉まったドアの横に別のドアがいくつも開いていると告げているのが面白いところです。志望先に落ちた日に、閉まった一枚だけを見つめ続けてしまうのは誰にでもあることです。視線を横へずらす合図として、この言葉は効きます。

名言4【ボブ・マーリー】逃げ出したくなる自分に気づいたとき

お前は逃げる。でも、自分自身からは逃げられない。

(ボブ・マーリー)

1978年のアルバム『Kaya』に収められた「Running Away」の一節です。1976年の銃撃事件のあとロンドンで過ごした時期に生まれた曲で、故郷から逃げたのかという周囲の声に、マーリー自身が向き合った歌です。言葉は逃げることを責めてはいません。場所は変えられても、自分だけは置いていけないという事実を言い当てているだけです。同じ悩みが追いかけてくるとき、向き合う相手は自分の中にいます。

名言5【ボブ・マーリー】自分の価値を数字で測ってしまうとき

君の命には、黄金なんて比べ物にならないほどの価値がある。

(ボブ・マーリー)

1977年のアルバム『Exodus』の「Jamming」に出てくる一節です。軽快な曲ですが、歌詞には賄賂は受け取らないといった強い意志も織り込まれています。黄金と命を並べて比べる発想は、ラスタファリの思想がお金を中心に回る社会を「バビロン」と呼び、距離を取ってきたことと重なります。年収や評価で自分の値段を決めてしまいそうになるとき、命には比較対象がないという前提に戻るだけで、肩の力が抜けます。

名言6【ボブ・マーリー】成功のために何かを犠牲にしそうなとき

世界を手に入れるために自分の魂を失うな。賢明さは金銀よりも価値がある。

(ボブ・マーリー)

最後のアルバム『Uprising』(1980年)の「Zion Train」で歌われた一節です。世界を手に入れても魂を失えば意味がないという考え方は、聖書の言葉を下敷きにしています。マーリー自身、成功のあとも収入の多くを故郷の人々に分け与えていたと伝えられます。大きな成果が見えてきたときほど、引き換えに何を差し出しているかが見えにくくなります。賢明さを金銀より上に置く順序は、迷ったときの物差しです。

名言7【ボブ・マーリー】音楽に救われた経験がある人へ

音に打ちのめされて傷付くものはいない。それが音楽のいいところさ。

(ボブ・マーリー)

「Trenchtown Rock」は、ウェイラーズが自分たちのレーベルから出した初期の代表曲です。育った貧民街の名を冠し、音楽の力を真正面から歌っています。殴られれば痛むのに、音に打ちのめされても人は傷つかない。むしろ救われる。マーリーはその不思議を短い一節で言い切りました。落ち込んだ帰り道に一曲だけ聴いて立ち直れた経験は多くの人にあるはずです。その体験を信じていいのだと、彼は背中を押しています。

名言8【ボブ・マーリー】人とのつながりを信じたいとき

ひとつの愛、ひとつの心。みんなで一つになれば、いい気分になれるさ。

(ボブ・マーリー)

「One Love」は、1965年に録音され、1977年の『Exodus』で再び世に出た曲です。マーリーの歌の中でも最も広く歌われ、観光キャンペーンにも使われました。「ひとつの愛、ひとつの心」は、ラスタファリの思想が説く人類の一体性を、誰にでも口ずさめる形にした言葉です。対立が続くとき、相手を打ち負かすのではなく「一緒にいい気分になる」方向を探す。その転換を思い出させる歌です。

名言9【ボブ・マーリー】人を批判する言葉が口から出そうなとき

批判するな。自分自身を批判する前に。批判するな。批判する覚悟がないのなら。

(ボブ・マーリー)

「Judge Not」は、まだ10代だった1962年にマーリーが初めて吹き込んだシングルです。最初の一曲で彼が選んだテーマが、他人を裁く前に自分を裁けという戒めだったことは、その後の生き方を予告しているようです。歌詞には、自分の欠点を忘れて人の欠点ばかり数える人の姿が描かれます。SNSで誰かを批判したくなったとき、この言葉は口をつぐむ理由ではなく、まず自分の手元を見る順番を教えてくれます。

名言10【ボブ・マーリー】誰かを責める前に

指をさして人を非難する前に、君のその手がよごれていないか確かめてくれ。

(ボブ・マーリー)

出典が定かではない語録ですが、マーリーの言葉として広く伝わっています。内容は「Judge Not」で歌った戒めとまっすぐつながっていて、人を非難する指先の前に、自分の手がよごれていないかを確かめよと言います。他人の失敗はよく見えるのに、自分の失敗は見えにくい。その非対称に気づいているだけで、言葉の出し方は変わります。会議で誰かのミスを指摘する前に一拍置く。その一拍を作るのが、この言葉の役目です。

名言11【ボブ・マーリー】いまの暮らしを好きになれないとき

自分の生きる人生を愛せ。自分の愛する人生を生きろ。

(ボブ・マーリー)

マーリーの言葉として広く流通している一節で、出典は確認できていません。前半と後半で語順を入れ替えた、音楽的な対句になっています。「自分の生きる人生を愛せ」はいまここにある暮らしの受け入れ、「自分の愛する人生を生きろ」は望む方向への行動を指しています。どちらか一方だけでは足りない、という構造が肝です。受け入れるだけでは動けず、望むだけでは足元が崩れる。両方を同時に持つことを、短い言葉で求めています。

名言12【ボブ・マーリー】自分の進路を他人に決められそうなとき

誰もが自分の運命を決定する権利を持っている。

(ボブ・マーリー)

1979年のアルバム『Survival』に収められた「Zimbabwe」の一節です。独立闘争の渦中にあったジンバブエに向けて書かれ、1980年の独立記念式典でマーリーはこの歌を演奏しました。一国の運命を自分たちで決めるという文脈の言葉ですが、「誰もが」と始まるこの一節は、個人の人生にも当てはまります。親の期待や会社の都合で進路が決まりそうなとき、決める権利は自分にあると思い出させてくれます。

名言13【ボブ・マーリー】社会の怒りの根っこを知りたいとき

飢えた群衆は、怒れる群衆なんだ。

(ボブ・マーリー)

1974年のアルバム『Natty Dread』の「Them Belly Full」の一節です。満腹の人々と飢えた人々を対比させ、飢えが怒りに変わる構図を一言で言い切っています。マーリー自身、貧民街で育ち、怒りがどこから生まれるかを肌で知っていました。暴力の肯定ではなく、怒りの原因を見よという指摘です。身近な誰かの苛立ちに出会ったとき、その人の「飢え」が何かを考える視点になります。

\ 歌詞の言葉を、暮らしの中に /
ここまでは歌詞の言葉でした。ここからはインタビューでマーリーが語った言葉に移ります。歌のように毎日ひとつ言葉を受け取りたい方には、iPhoneアプリ「ポケットAnchor」があります。アプリ独自のコレクションから、その日の一言がウィジェットに届きます。基本機能は無料です。

名言14【ボブ・マーリー】持ち物で豊かさを測りそうなとき

所有物が豊かさをもたらすのか?俺にはそういう豊かさはない。俺の豊かさは、永遠の命だ。

(ボブ・マーリー)

オーストラリアのテレビ番組『60 Minutes』のインタビューでの発言です。邸宅を持てる立場になっていたマーリーが、自分の豊かさは所有物ではなく「永遠の命」にあると答えました。ラスタファリの信仰では命は途切れないものと捉えられており、この答えはその世界観から出ています。何を持っているかではなく、どう生きているかを豊かさの基準に置く姿勢は、比べる癖から抜け出す助けになります。

名言15【ボブ・マーリー】自分をどう見ているかと聞かれたら

俺は自分のことを、たぶんいい人間だと思っている。俺はいい人間でありたい。

(ボブ・マーリー)

1978年、アイルランドの音楽誌『Hot Press』のインタビューで、自己イメージを問われたときの答えです。すでに世界的スターだった彼は、革命家でも預言者でもなく「たぶんいい人間」と答え、「いい人間でありたい」と言い添えました。留保と願望の組み合わせに、等身大の人柄がにじみます。いまの姿を断定せず、向かいたい方向で自分を語る。その言い方は、自分に厳しい人ほど真似しやすいものです。

名言16【ボブ・マーリー】自分の考えだけで突き進みそうなとき

自分ひとりの理解だけに頼るのは、愚か者だ。

(ボブ・マーリー)

1979年、英国の音楽誌『Melody Maker』のインタビューで、ラスタファリの知恵を語る中で出た言葉です。自分ひとりの理解に頼るなという表現は旧約聖書の箴言を下敷きにしており、マーリーはそれを自分の言葉で語り直しました。経験を積むほど自分の判断に自信がつき、人の意見を聞く耳が閉じていきます。彼はその状態を「愚か者」と呼びました。迷ったとき誰かに一言聞いてみる習慣を残すための言葉です。

名言17【ボブ・マーリー】終わりを恐れる気持ちに向き合うとき

俺は肉体においても精神においても、死を信じない。

(ボブ・マーリー)

1979年の『Melody Maker』のインタビューで、記者から「死を信じないとはどういうことか」と問い直された際の返答です。ラスタファリの信仰では命は永遠に続くものと捉えられ、死を終着点と見ません。マーリーは1977年に皮膚がんの診断を受けながら、信仰上の理由から足の切断を拒んだとされ、この発言はその渦中のものです。終わりを前提にしないからこそ、彼は最後まで歌い続けることができました。

名言18【ボブ・マーリー】何を目指しているのか見失ったとき

俺は改善を望む。物質的なものでなくていい。思想の自由であってもいい。

(ボブ・マーリー)

1979年の『Melody Maker』のインタビューで、社会の進歩について語った言葉です。改善を望むが、それは物質的なものでなくていい、思想の自由であってもいい。この順序に彼の価値観が表れています。生活が楽になることを否定はしないが、本当に求めているのは考え方の自由だというわけです。何を良くしたいのか見えなくなるとき、物の改善と考え方の改善を分けて眺めると、求めているものの輪郭がはっきりします。

名言19【ボブ・マーリー】流されている自分に気づいたとき

今こそ、意識を高めなければならない時だ。

(ボブ・マーリー)

1975年、米国の地方紙『Ann Arbor Sun』のインタビューでの発言です。ラスタファリの世界観では、人は仕組みに眠らされており、目覚めて真実を見ることが求められます。マーリーはその目覚めを「意識を高める」と呼び、「今こそ」と時期を切りました。いつかではなく、いまという限定がこの言葉の強さです。毎日が流れていくだけのとき、自分が何を信じて動いているのかを一度言葉にしてみる。それが一歩目です。

名言20【ボブ・マーリー】情報の洪水の中で本物を探すとき

今日、人々は何が本物かを見つけようと苦闘している。

(ボブ・マーリー)

2004年、ローリングストーン誌の企画『The Immortals』に引用されたマーリーの言葉です。人々は何が本物かを見つけようと苦闘している、という観察は彼の時代に向けられたものですが、情報があふれる現在のほうが当てはまります。本物を見分ける力は、評価を集めても身につかず、自分で触れて確かめることでしか育ちません。彼の音楽が残っているのは、自分が本物を探す側に立ち続けたからだと思えます。

名言21【ボブ・マーリー】思い込みから抜け出せないとき

偏見は鎖だ。あなたを縛り付ける。偏見を持っていると動けなくなり、何年も偏見を抱えたままになる。

(ボブ・マーリー)

出典ははっきりしていませんが、マーリーの言葉として伝わる一節です。偏見を「鎖」にたとえ、持っている本人を縛り付け、何年も動けなくすると言います。人種差別の中で育った彼が偏見を語るとき、それは加害者だけの話ではなく、自分の中にある思い込みの話でもありました。「あの人はこういう人だ」と決めてかかった瞬間、相手ではなく自分の動きが止まる。偏見を手放すことは、何より自分が自由になるための行動なのです。

名言22【ボブ・マーリー】仕事の意味を問われたとき

俺の音楽はメッセージを伝える。だから俺たちは商業的な理由以上のためにツアーをしている。

(ボブ・マーリー)

1973年、米国の音楽業界誌『Billboard』のインタビューでの発言です。初めて本格的な海外ツアーに出た年で、彼はツアーの目的を商業的な理由以上のものだと語りました。音楽はメッセージを運ぶ手段であり、売ることだけが目的ではないという姿勢は、その後の活動を貫いています。仕事を「何のために」と聞かれて詰まるとき、参考になります。報酬は否定しない。ただ、それ以上の理由を持つ人は強いのです。

名言23【ボブ・マーリー】戦い方を自分で選びたいとき

俺たちは革命家だ。誰にも賄賂を受け取らない。俺たちは音楽だけで戦っている。

(ボブ・マーリー)

1980年、ニュージーランドでのインタビューで、映画『Time Will Tell』に収められた発言です。自らを革命家と呼びながら、武器ではなく音楽だけで戦うと言い切りました。銃撃を受け、対立する政治指導者を握手させた経験を経ての言葉です。賄賂を受け取らないという一言には、立場を買われない覚悟が込められています。自分の得意な道具で変えていく戦い方を、彼は身をもって示しました。

名言24【ボブ・マーリー】自分の仕事が続いていくか不安なとき

だから毎日、人々は新しい歌を持ってくる。音楽は永遠に続く。

(ボブ・マーリー)

1979年の『Melody Maker』のインタビュー終盤で語られた言葉です。音楽は一人の作り手のものではなく、毎日誰かが新しい歌を持ってくることで続いていく。自分がいなくなっても音楽は終わらないという見方には、作り手としての潔さがあります。自分がいなければ回らないと感じて手放せない仕事があるとき、次の誰かが新しいものを持ってくると信じてみる。その信頼が肩の荷を軽くします。

名言25【ボブ・マーリー】本当の自分を知ってほしいとき

俺のことを知りたいなら、俺とウェイラーズとフットボールで戦わなければならない。

(ボブ・マーリー)

ジャーナリストへの自己紹介として語ったとされる言葉です。マーリーはサッカーを生涯愛し、ツアー先でもバンド仲間と試合をするのが日課でした。インタビューで語る言葉より、ボールを追いかけているときの自分のほうが本物だという自負が、この一言に出ています。人は肩書きや発言で相手を知った気になりますが、一緒に体を動かすと別の顔が見えます。会議室の外で何かを共にした相手のほうが、信頼できることがあります。

\ ここまでで、心に残った言葉は /
マーリーの言葉は、まだ続きます。ここから先はルーツ・政治・愛について、より踏み込んだ発言です。読み終えたあとも言葉と付き合い続けたい方へ、iPhoneアプリ「ポケットAnchor」をご紹介します。アプリ独自のコレクションに3,000を超える名言を収録し、ウィジェットを置けばスマホをひらくたびに言葉が目に入ります。基本機能は無料です。

名言26【ボブ・マーリー】声を上げることをためらうとき

政治に関わると言うが、俺にはそれが何かわからない。自分の権利のために立ち上がって語ると言うなら、それは俺にもわかる。

(ボブ・マーリー)

出典は確認できていませんが、マーリーの言葉として広く引用されている一節です。「政治に関わる」という言い方は自分にはわからない、ただ自分の権利のために立ち上がって語ることならわかる、と言います。政治という大きな言葉を、自分の権利という手触りのある言葉に置き換えたところが特徴です。職場で理不尽を感じながら黙ってしまうとき、それを自分の権利の話として語り直す。その切り替えを示す言葉です。

名言27【ボブ・マーリー】自分の表現が「政治的」と言われたとき

俺は政治が本当に意味することを好きになったことがない。それは本当に政治じゃない。ルーツについて語っているだけだ。

(ボブ・マーリー)

1978年、『Hot Press』のインタビューで、音楽の政治性を問われたときの答えです。マーリーは政党政治を好まず、1976年にはジャマイカの政争に巻き込まれる形で銃撃を受けました。自分が歌っているのは政治ではなく「ルーツ」、つまり人がどこから来たのかという根本の話だと彼は言います。自分の発信に意図しないラベルを貼られたとき、本当は何を語っているのかを自分の言葉で言い直す。その手本です。

名言28【ボブ・マーリー】お金が中心の社会に息苦しさを感じるとき

資本主義はまったくの狂気だ。

(ボブ・マーリー)

1975年、『Ann Arbor Sun』のインタビューで、貧富の格差を語る中で出た言葉です。強い断定ですが、ラスタファリの思想がお金と権力を中心に回る社会を「バビロン」と呼び、解放を説いてきた文脈に置くと理解しやすくなります。トレンチタウンの貧困を知る彼にとって、富が一部に集まる仕組みは狂気に見えました。賛否は分かれますが、自分が生きている仕組みを一度疑ってみる視点として受け取れます。

名言29【ボブ・マーリー】自分がどこから来たのか考えるとき

人類は自分たちのルーツを知らない。

(ボブ・マーリー)

1978年、『Hot Press』のインタビューで語られた言葉です。ここでの「ルーツ」は、アフリカから連れてこられた人々の歴史を指し、ラスタファリの思想では、その根を知ることが自分を取り戻す出発点とされます。人類が自分のルーツを知らないという嘆きは、奴隷制の記憶を抱えるジャマイカからの発言として重みがあります。どんな家族や土地から来たのかを知ることは、進む方向を決めるときの足場になります。

名言30【ボブ・マーリー】大きな目標の「礎石」を考えるとき

アフリカは人々の団結を実現するための礎石だ。

(ボブ・マーリー)

1979年の『Melody Maker』のインタビューで、ラスタファリの信仰とアフリカ統一への信念を語った言葉です。ラスタファリ運動にとってアフリカは精神的な故郷であり、マーリーはジンバブエの独立記念式典で演奏するなど、その理想を行動で示しました。人々の団結という大きな目標に対して、彼は「礎石」という具体的な一点を置きました。最初に据える一つの石を決める発想は、どんな目標にも応用できます。

名言31【ボブ・マーリー】お金で解決できないことに直面したとき

だからこそ、人類の団結のためには、お金も他の何も成し遂げることはできない。

(ボブ・マーリー)

1978年、『Hot Press』のインタビューで語られた言葉です。人類の団結は、お金でも他の何かでも成し遂げられない。彼が根拠として語ったのは、人はみな共通の祖先を持つという精神的なつながりでした。お金で動かせることは多いと知りながら、肝心なところは動かせないと言い切る姿勢には、実感があります。チームの一体感を報酬だけで作ろうとするとき、人をつなぐのは何かを考え直すきっかけになります。

名言32【ボブ・マーリー】自分の中の「どちらでもなさ」に悩むとき

俺は黒人と白人の間から生まれた。だから俺は言う。黒人と白人は一緒にならなければならない。

(ボブ・マーリー)

1976年、サンフランシスコのモーテルで行われたインタビューで語られた言葉です。マーリーは白人の父と黒人の母のあいだに生まれ、幼いころは肌の色のことで周囲から距離を置かれたと伝えられます。どちらにも属しきれない出自を、彼は弱点ではなく、黒人と白人が一緒になるべきだという主張の根拠に変えました。自分の中の「どちらでもなさ」に悩む人にとって、それを橋に変えた人がいた事実は小さくない支えになります。

名言33【ボブ・マーリー】「こうあるべき」という形に疑問を感じたとき

俺たちは特に結婚を信じない。人は自由に愛さなければならないと感じるからだ。

(ボブ・マーリー)

1975年、『Ann Arbor Sun』のインタビューで、ラスタファリの男女関係について語った言葉です。結婚という制度を特に信じない、人は自由に愛すべきだという考え方は、当時のラスタファリの共同体の価値観を反映しています。一方で彼自身は1966年にリタ・マーリーと結婚しており、言葉と人生は単純には一致しません。ここから受け取れるのは、その形を選ぶ理由を自分が持っているかという問いです。

名言34【ボブ・マーリー】愛という言葉の重さを確かめたいとき

俺にとって、愛という言葉は神だ。それが俺の考える愛の意味。神だ。

(ボブ・マーリー)

1978年、『Hot Press』のインタビューで、ラブソングと信仰の関係を問われたときの答えです。マーリーにとって愛は、恋愛にとどまらず、神そのものを指す言葉でした。彼にとって「One Love」も「Is This Love」も、同じ根から生まれた歌だったことになります。信仰を共有しなくても、愛という言葉を軽く使わない姿勢は参考になります。彼の定義は、自分の言葉の重さを確かめる物差しです。

名言35【ボブ・マーリー】大切な人に残したい言葉を考えるとき

上に行くときは俺も連れていってくれ。下りるときは俺を見捨てないでくれ。

(ボブ・マーリー)

1981年5月11日、マイアミの病院で、12歳の息子ジギー・マーリーに残した最後の言葉と伝えられています。栄光も転落も、どちらのときも一緒にいてほしいという願いは、父から息子へというより、人と人との関係全体への遺言のようです。ジギーはのちに音楽の道を歩み、この言葉を語り継いでいます。良いときだけでなく下り坂でも隣にいる。その約束の重さを、36歳で世を去った男の最後の言葉が教えてくれます。

まとめ

ボブ・マーリーの35の言葉を、歌詞とインタビューから辿ってきました。「心配しなくていい」という優しさと、「資本主義は狂気だ」という鋭さは、同じ人物の中にあります。貧民街で育ち、銃撃を受け、病を抱えながら歌い続けた人生があるからこそ、励ましの言葉が軽く聞こえないのだと思います。
すべてに賛同する必要はありません。閉まったドアの横に開いているドアを探す言葉でも、人を裁く前に自分の手を見る言葉でもいい。どれか一つを自分の場面に引き寄せて持ち帰ってもらえたら、この記事の役目は果たせています。

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6月18日(水)
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