福沢諭吉の名言55選|学問のすすめ・修身要領の原文と意味

福沢諭吉(福澤諭吉)の名言55選。『学問のすすめ』『修身要領』『福翁自伝』の原文と照らした言葉だけを、古い言い回しの意味と書かれた背景とともに解説します。
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福沢諭吉の名言は、多くの人が学校の授業や本のどこかで一度は目にしています。「天は人の上に人を造らず」の一句はあまりに有名ですが、その続きに何が書かれているかまで読んだことのある人は、意外と少ないのではないでしょうか。「福澤諭吉」と旧字で書かれることもありますが、同じ人物です。
この記事では、『学問のすすめ』『修身要領』『福翁自伝』などの原文テキストと一つずつ突き合わせ、原文どおりの文言で確かめられた言葉だけを55件集めました。古い言い回しは、解説の中で現代の言葉に一度ほどいています。「意味がよくわからないまま引用していた」という言葉も、ここで腑に落ちるはずです。
なお、福沢の言葉として広まっているものの中には、本人の著作に見当たらないものもあります。「福沢心訓」として知られる七か条はその代表です。それらについては、記事の後半でまとめて取り上げます。

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福沢諭吉とはどんな人物か

福沢諭吉(1835〜1901年)は、下級武士の家に生まれました。生まれた家の格で一生が決まってしまう門閥制度に、若いころから強い憤りを抱えていた人です。蘭学を学び、1858年には江戸で蘭学塾を開きます。やがて英学へと転じ、咸臨丸でアメリカへ渡って西洋の社会を自分の目で見ました。この塾が1868年に「慶應義塾」と名づけられ、学ぶ人を育てることに力を注ぎます。『学問のすすめ』は初編が1872年に出て、1876年の十七編まで書き継がれ、当時のベストセラーになりました。身分ではなく学ぶかどうかで人の差が決まる、という主張は、生まれで苦しんだ本人の実感から出ています。

福沢諭吉の名言55選

表記について先にお伝えします。『学問のすすめ』からの引用は、現代表記の底本の表記どおりに載せています。『修身要領』は原文が旧字体・歴史的仮名遣いのため、新字体・現代仮名遣いに改め、読みやすいように読点を補いました。『福翁自伝』は口述筆記で成り立った本のため、話し言葉の表記のままです。
『学問のすすめ』から(名言1〜32)
初編から十七編まで、学ぶことの意味、独立とは何か、人との付き合い方までを論じた福沢の代表作です。有名な冒頭だけでなく、その先の論の流れが見えるように編の順で並べました。

名言1【福沢諭吉】「と言えり」の先にある本当の主張

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』初編
『学問のすすめ』初編の書き出しです。「と言えり」は「と言われている」という意味で、福沢はこの一句を自分の断定としてではなく、世の中で言われている言葉として引いています。そして続く文で、それなのに現実には賢い人と愚かな人、富む人と貧しい人の差がある、その差は学ぶか学ばないかで生まれる、と論じていきます。平等の宣言として独り歩きしがちな言葉ですが、本当の主張はその先にあります。

名言2【福沢諭吉】生まれの差ではなく学ぶかどうかの差

人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』初編
名言3・4の後、諺「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」を引き、「されば前にも言えるとおり」と述べ直した文です。「貴賤・貧富の別なし」は「身分も豊かさも生まれつきには差がない」、「貴人」「富人」は地位の高い人や豊かな人、「下人」は人に使われる人のこと。生まれで決まっていないなら、後から変えられる。家柄で線を引かれたと感じるとき、その線は動かせるものだと読み直せる言葉です。

名言3【福沢諭吉】前半は『実語教』からの引用

『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』初編
前半の「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」は福沢自身の言葉ではなく、昔からの教訓書『実語教』からの引用です。「学ばなければ知恵はなく、知恵のない者は愚かな人だ」という意味で、福沢はこれを引いたうえで、「されば(だから)」と受けて、賢人と愚人の違いは学ぶか学ばないかで生まれるという自分の結論を続けました。前半だけを福沢の名言として載せている記事も見かけますが、本人が引用と断って使った言葉です。

名言4【福沢諭吉】身分と豊かさの差をもとからたどる

身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみ。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』初編
初編で、身分や貧富の差の正体を論じた箇所です。「及ぶべからざるようなれども」は「とても追いつけないように見えるけれども」、「その本を尋ぬれば」は「その根本をたどってみれば」という意味です。元をたどれば学問の力があるかないかの違いにすぎない、と福沢は言い切ります。役職や肩書きの差に圧倒されそうなとき、その差がどの経路で生まれたかを考えてみると、見え方が少し変わります。

名言5【福沢諭吉】むずかしい字を知ることが学問ではない

学問とは、ただむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』初編
初編で、福沢が学問の中身を定義し直した一文です。「世上に実のなき文学」は「世の中で実際の役に立たない学問」という意味で、難しい漢字や古文の読解、和歌や詩のたしなみを、それだけでは学問と呼ばないと退けています。知識の量や難解さで自分や他人を測りそうになったとき、何のための学びかという問いに戻る言葉です。資格の数より、その知識で何ができるようになったかのほうが、福沢の物差しには近いのでしょう。

名言6【福沢諭吉】まず勤めるべきは日用に近い実学

されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』初編
名言5に続く文です。「実なき学問はまず次にし」は「実のない学問はひとまず後回しにして」、「人間普通日用に近き実学」は「ふつうの人の毎日の暮らしに役立つ実際的な学問」という意味です。初編で福沢は、空理空論よりも生活に役立つ学びを優先するよう説きました。難しい理論を知らないことに引け目を感じるより、今の仕事で使える手順を一つ覚えるほうが、福沢の言う学問にはずっと近いのです。

名言7【福沢諭吉】自由とわがままを分ける一本の線

自由とわがままとの界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』初編
初編で自由を論じた部分の一文です。「界」は「境い目」、「他人の妨げをなすとなさざるとの間」は「他人の邪魔をするかしないかの間」という意味です。ただし福沢のいう「妨げ」は直接の迷惑より広く、すぐ後で、自分の金で酒色に耽るのも一人の放蕩が人の手本となり教えの妨げになるから許されない、と続けています。自分らしさと周りへの配慮のあいだで迷うとき、ひとつの目安になる線です。

名言8【福沢諭吉】分限とは他人を妨げずに自由を達する限度

学問をするには分限を知ること肝要なり。人の天然生まれつきは、繋がれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、ただ自由自在とのみ唱えて分限を知らざればわがまま放蕩に陥ること多し。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』初編
名言7の直前で、学問をするにはまず「分限」を知ることが肝要だと説いた箇所です。「わがまま放蕩に陥る」は「勝手気ままで身を持ち崩す」という意味。福沢はすぐ後で分限を「天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずしてわが一身の自由を達すること」と定めています。つまり他人を妨げない範囲で自由を行う、その限度のことです。自由を狭める線ではなく、どこまで自由に振る舞えるかの輪郭を知ることだと読めます。

名言9【福沢諭吉】独立とは自分で自分を支配すること

独立とは自分にて自分の身を支配し他によりすがる心なきを言う。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』三編
三編で「独立」を定義した一文です。「自分にて自分の身を支配し」は「自分で自分の身の振り方を決め」、「他によりすがる心なき」は「他人に寄りかかる気持ちがない」という意味です。福沢の言う独立は、誰とも関わらないことではなく、判断と生活の主導権を自分で握っている状態を指しています。上司の指示や周りの空気に判断を預けてしまいがちなとき、主導権が今どこにあるかを問い直させる定義です。

名言10【福沢諭吉】他人の智恵によらない独立

みずから物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の智恵によらざる独立なり。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』三編
三編で独立を二つの面から説明した、その一つ目です。「理非を弁別して」は「物事の正しい・正しくないを見分けて」、「処置を誤ることなき」は「対処を間違えない」という意味です。自分で判断して対処できる人は、他人の知恵に頼らない独立をしている、と福沢は言います。誰かに正解を聞く前に、まず自分の考えを一つ持っておく。その小さな積み重ねが、知恵の面での独立を育てていきます。

名言11【福沢諭吉】他人の財産によらない独立

みずから心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財によらざる独立なり。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』三編
名言10と対になる、二つ目の独立です。「みずから心身を労して」は「自分の体と頭を働かせて」、「私立の活計をなす」は「自分の力で生計を立てる」という意味です。自分で働いて暮らしを立てている人は、他人の財産に頼らない独立をしている、というのが福沢の定義です。給料の額や肩書きとは別に、働いて自分の生活を支えているという事実そのものが、すでに独立の一つの形として認められています。

名言12【福沢諭吉】独立の気力がなければ国も思えない

独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』三編
三編で、個人の独立と国の独立を結びつけて論じた箇所の一文です。「深切ならず」は「心からのものにならない」という意味で、自分で立つ気力のない人は、国を思う気持ちも本物にはならないと福沢は言います。組織に置き換えると、自分の足で立とうとしていない人の「会社のため」は、どこか借り物になりやすい、と読むこともできます。まず自分の持ち場で立つことが、全体を思う前提になるという順序を示した一文です。

名言13【福沢諭吉】頼れば恐れ、恐れればへつらう

独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諛うものなり。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』三編
誰かに頼りたくなる場面は、誰にでもあります。三編の第二条「内に居て独立の地位を得ざる者は…」の本文の書き出しです。「依頼す」は「頼る」、「諛う(へつらう)」は「相手の機嫌を取る」という意味。頼るしかない状態が続くと、相手を恐れ、恐れればへつらうようになる。福沢はこの連鎖を三段で示しました。言いたいことが言えないと気づいたとき、自分を責めるより、どこに頼りすぎているかを見る手がかりになります。

名言14【福沢諭吉】一身独立して一国独立する

一身独立して一国独立する

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』三編
三編の主題を一言に凝縮した言葉です。「一身独立して」は「一人ひとりが独立してはじめて」という意味で、国の独立は政府や制度だけでは成り立たず、国民それぞれが自分の足で立つことの積み重ねの上にある、というのが福沢の考えでした。チームや会社に置き換えても構造は同じで、組織の強さは一人ひとりの自立の総和になります。全体を変えたいと思うほど、自分一人の独立から始めることになる、と読める言葉です。

名言15【福沢諭吉】西洋人の力を恐れるに足らない

わが日本国人も今より学問に志し気力を慥かにして、まず一身の独立を謀り、したがって一国の富強を致すことあらば、なんぞ西洋人の力を恐るるに足らん。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』三編
三編で、個人の独立が国の富強につながると論じた箇所の一文です。「気力を慥かにして」は「気力をしっかり持って」、「なんぞ〜恐るるに足らん」は「どうして〜を恐れる必要があろうか」という反語です。まず一人ひとりが学問に志して独立を図れば、その先に国の富強があり、西洋人を恐れることはないと福沢は説きました。大きな相手を前にしたとき、最初の一手は自分の足場を固めること。この順序は時代を超えて使えます。

名言16【福沢諭吉】まず自己の独立、余力あれば他人の独立

官私を問わずまず自己の独立を謀り、余力あらば他人の独立を助け成すべし。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』三編
三編の末尾近くに置かれた一文です。「官私を問わず」は「役人であろうと民間人であろうと」、「助け成す」は「手を貸して成し遂げさせる」という意味です。まず自分の独立を図り、余力があれば他人の独立を助けるという順序を、福沢ははっきり示しました。誰かを支えたい気持ちが先に立って自分の足場が崩れそうなとき、自分を後回しにしないことを冷たさではなく順番の問題と読むこともできます。

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名言17【福沢諭吉】人に先だって事をなすはわが輩の任

人に先だって事をなすはまさにこれをわが輩の任と言うべきなり。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』四編
四編「学者の職分を論ず」で、学ぶ者が率先して事を行う責任を論じた一文です。「人に先だって」は「人より先に」、「わが輩の任」は「私たち学ぶ者の役目」という意味で、福沢は実践者としての自負をこめて言い切っています。会議で誰かが口火を切るのを待ってしまう場面は少なくありません。目立つためではなく、誰かが始めなければ何も動かないから先に動く。先に動くことを才能ではなく姿勢の問題として置き直した言葉です。

名言18【福沢諭吉】命ずるより諭し、諭すより実例を示す

そもそも事をなすに、これを命ずるはこれを諭すに若かず、これを諭すはわれよりその実の例を示すに若かず。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』四編
四編の一文で、「若かず」は「〜に及ばない」という意味です。人に何かをさせるとき、命令するのは言い聞かせることに及ばず、言い聞かせるのは自分が実際にやって見せることに及ばない。福沢はこう段階をつけて示しました。後輩に何度言っても伝わらないと感じるとき、言葉を増やすより、自分がまず一度やって見せるほうが早いことがあります。慶應義塾をつくって人を育てた福沢の、実感のこもった一文でしょう。

名言19【福沢諭吉】文明は形をもって評すべからず

国の文明は形をもって評すべからず。学校と言い、工業と言い、陸軍と言い、海軍と言うも、みなこれ文明の形のみ。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』五編
五編で、国の文明の本質を論じた一文です。「形をもって評すべからず」は「外側の形で評価してはならない」という意味で、学校も工業も陸海軍も、すべて文明の「形」にすぎないと福沢は言います。形は整えられても、それだけでは文明にならない。本体はその形を動かす人の気力や姿勢にある、という論の入口です。資格や肩書きを揃えれば安心できる気がして形から整えたくなるときに、何が本体かを問う入口になります。

名言20【福沢諭吉】進まざる者は必ず退くという道理

進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。進まず退かずして潴滞する者はあるべからざるの理なり。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』五編
五編の一文です。「潴滞する」は「とどまって動かない」、「あるべからざるの理」は「あり得ない道理」という意味です。進まない者は必ず後退し、後退しない者は必ず前進する。進みも退きもせずその場にとどまることは、理屈としてあり得ないと福沢は言い切りました。現状維持のつもりで何も変えずにいることが、実際には後退になっている。そう考えると、小さくても前に動くことの意味が変わって見えます。

名言21【福沢諭吉】勇力は実地に接してはじめて生まれる

読書は学問の術なり、学問は事をなすの術なり。実地に接して事に慣るるにあらざればけっして勇力を生ずべからず。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』五編
五編で、学問と実践の関係を論じた一文です。「術」は「手段」、「事に慣るる」は「実際の仕事に慣れる」、「勇力」は「物事をやり抜く力」という意味です。読書は学問のための手段で、学問は事をなすための手段。実地に接して慣れなければ、やり抜く力は決して生まれないと福沢は説きました。本を読んで分かった気になるところで止まらず、現場に出てはじめて力になる。学びの順番を一段ずつ示した言葉です。

名言22【福沢諭吉】従う法はみずから作った法

国民の政府に従うは政府の作りし法に従うにあらず、みずから作りし法に従うなり。国民の法を破るは政府の作りし法を破るにあらず、みずから作りし法を破るなり。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』六編
六編「国法の貴きを論ず」の一文です。国民が政府に従うのは、政府が作った法に従うのではなく、自分たちで作った法に従うのだ、という近代的な法のとらえ方を示しています。法を破ることも、他人の決まりではなく自分たちの約束を破ることだ、と対にして言い切る構成です。チームで決めた約束事のように、自分も決めに加わった決まりを守るとき、従うことの意味は受け身から参加へと変わります。

名言23【福沢諭吉】男も人なり女も人なり、同じ重さで

男も人なり女も人なり。この世に欠くべからざる用をなすところをもって言えば、天下一日も男なかるべからず、また女なかるべからず。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』八編
八編で男女の同権を論じた箇所の一文です。「欠くべからざる用をなす」は「欠かせない役割を果たす」、「天下一日も男なかるべからず」は「世の中は一日たりとも男なしでは成り立たない」という意味で、同じ重さで女も欠かせないと続けます。誰かと役割を比べて自分の仕事が小さく見えるとき、比べる物差しは量や肩書きではなく、ここに欠かせない用をなしているかどうかだと読める言葉です。

名言24【福沢諭吉】炊事も学問、だからこそ志は高遠に

学問するには、その志を高遠にせざるべからず。飯を炊き、風呂の火を焚くも学問なり。天下の事を論ずるもまた学問なり。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』十編
十編の一文です。「志を高遠にせざるべからず」は「志を高く遠くに持たなければならない」という意味。炊事や風呂焚きも学問だと認めたうえで、福沢は「されども一家の世帯は易くして、天下の経済は難し」と続け、今の学者は難を棄てて易きにつく弊があると戒めました。身近な学びを認めつつ、そこに安住せず難しい課題へ向かえ、が本来の主張です。手の届く仕事で満足しかけたとき、一段高い的を思い出させる言葉です。

名言25【福沢諭吉】名分は想像がしいて造ったもの

名分の本は悪念より生じたるにあらず、想像によりてしいて造りたるものなり。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』十一編
十一編「名分をもって偽君子を生ずるの論」の一文です。「名分」は身分や立場に伴う名目、「しいて造りたる」は「無理に作り上げた」という意味。福沢は直前で、親子の情で世を治めればうまくいくはずだという想像は、他人どうしの間では実際には成り立たないのに、形にしたくなるのが人情だと述べ、それが名分と専制、偽君子を生むと論じました。善意の理想が現実に合わない型を押しつける、その構造を見抜く一文です。

名言26【福沢諭吉】学問の本趣意は精神の働きにあり

学問の本趣意は読書のみにあらずして、精神の働きにあり。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』十二編
十二編の一文で、「本趣意」は「本来の目的」という意味です。学問の目的は本を読むことそのものではなく、読んだことをもとに考え、働かせる精神のほうにあると福沢は言います。読書家であることと学問をしていることは別だ、という区別です。読んだ本の冊数が増えても現実が変わらない気がするとき、足りないのは量ではなく、読んだものを動かす働きのほうかもしれません。

名言27【福沢諭吉】学問の要は活用にあるのみ

学問はただ読書の一科にあらずとのことは、すでに人の知るところなれば今これを論弁するに及ばず。学問の要は活用にあるのみ。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』十二編
十二編「演説の法を勧むるの説」の三段落目にある一文です。「論弁するに及ばず」は「改めて論じるまでもない」という意味で、学問が読書だけでないことはもう誰もが知っているとしたうえで、学問の要は活用にあると述べ、直後に「活用なき学問は無学に等し」と畳みかけています。名言26と並ぶ、福沢の学問観の核心です。学んだことを一つ、仕事や会話の中で実際に使ってみる。使ってみてはじめて、知識は自分の力に変わります。

名言28【福沢諭吉】交際に害あるものは怨望より大なるはなし

およそ人間に不徳の箇条多しといえども、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』十三編
十三編「怨望の人間に害あるを論ず」の冒頭です。「怨望」は「うらみ、ねたみ」のこと。貪吝や奢侈は場所や程度しだいで徳にもなるが、怨望だけは素質からして不徳だと福沢は断じました。その中身は、自分を進めて満足する法を求めず、他人を引き下げて釣り合わせようとする向きのこと。同僚の昇進に胸がざわついたら、相手を下げる方向でなく、自分を進める方向へその気持ちを向ける。そこに福沢の線があります。

名言29【福沢諭吉】思ったより自分はうまくやれていない

人の世を渡る有様を見るに、心に思うよりも案外に悪をなし、心に思うよりも案外に愚を働き、心に企つるよりも案外に功を成さざるものなり。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』十四編
十四編「心事の棚卸し」の書き出しです。「案外に」は「思いのほか」、「功を成さざる」は「成果を上げられない」の意味。人は思うより悪も愚もなし、企てたほどの成果は出せない、と福沢は言います。だから商人が帳面を点検して棚卸しをするように、自分の心も折々に総勘定せよ、というのがこの節の処方です。計画が半分も進んでいないと気づいたとき、人とはそういうものだと前提を置き直すと、残りをどう動くかに頭が向きます。

名言30【福沢諭吉】疑うことは悪いことではない

信の世界に偽詐多く、疑いの世界に真理多し。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』十五編
『学問のすすめ』十五編の言葉です。「偽詐」は「いつわり、だまし」のこと。何でも信じてしまう世界にはだましが集まり、疑って確かめる世界にこそ本当のことが残る、という意味です。福沢は疑いを、人を信じない冷たさではなく、確かめるための態度として語っています。「みんなが言っているから」で受け取る情報は、仕事でも日常でも多いものです。一度立ち止まって根拠を見る。その小さな手間が、判断を守ってくれます。

名言31【福沢諭吉】大きな働きを選ぶ心が働きを高くする

心事高尚ならざれば働きもまた高尚なるを得ざるなり。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』十六編
十六編の一文です。「心事」は心の中で思うこと、「働き」は実際の行い。福沢はここで、人の働きには大小軽重の別があり、軽く小さい仕事より重く大きい仕事を選び取る心や志を「心事高尚」と呼びました。心に高い志がなければ、行いもそれ以上には高くならない、という意味です。今の仕事を続けるか、より難しい仕事に挑むか迷うとき、自分の心がどの大きさの働きを選ぼうとしているかを確かめる一文です。

名言32【福沢諭吉】明るい表情も立派な徳のひとつ

顔色容貌の活発愉快なるは人の徳義の一ヵ条にして、人間交際においてもっとも大切なるものなり。

(福沢諭吉)

出典:『学問のすすめ』十七編
『学問のすすめ』十七編の一節です。「顔色容貌」は顔つきや表情、「徳義」は人としての徳のこと。生き生きと楽しげな表情でいることは徳の一か条であり、人付き合いでもっとも大切だ、と福沢は言い切ります。外に表れる明るさまで徳に数えたのが、この言葉の面白さです。疲れているときほど、表情は先に硬くなります。無理に笑う必要はなくても、挨拶のときだけ顔を上げる。それだけで相手の印象は変わります。

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『修身要領』から(名言33〜46)
『修身要領』は、1900年に慶應義塾が発表した29か条の道徳綱領です。晩年の福沢の考えをもとに門下の人々がまとめたもので、「独立自尊」はここで掲げられた言葉です。

名言33【福沢諭吉】独立自尊とは自分を安売りしないこと

心身の独立を全うし、自ら其身を尊重して、人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云う。

(福沢諭吉)

出典:『修身要領』第二条(1900年)
『修身要領』第二条、「独立自尊の人」の定義です。「其身を尊重して」は「自分自身を大切にして」、「品位を辱めざる」は「人としての品位を自分で傷つけない」という意味。人に頼らず立ち、自分を安く扱わない人を独立自尊の人と呼ぶ、と定めました。空気に合わせて意見を引っ込めたり、評価のために無理を重ねたりするとき、削られているのは自分の品位です。そこを自分で守ることから、独立自尊は始まります。

名言34【福沢諭吉】自分で働いて食べることが独立の土台

自ら労して自ら食うは人生独立の本源なり。独立自尊の人は自労自活の人たらざるべからず。

(福沢諭吉)

出典:『修身要領』第三条(1900年)
働いて自分の食い扶持を立てている。それだけで独立の土台はできている、と『修身要領』第三条は言います。「自ら労して自ら食う」は自分で働いて生活を立てること、「本源」はおおもと。独立自尊の人はまず自労自活の人でなければならない、という条文です。給料の額や肩書きで自分を測ると、いつまでも足りない気がします。けれど福沢の物差しでは、地味な仕事の積み重ねこそが独立自尊の土台です。

名言35【福沢諭吉】休むことは怠けではなく要務

身体を大切にし健康を保つは、人間生々の道に欠くべからざるの要務なり。常に心身を快活にして、苟めにも健康を害するの不養生を戒むべし。

(福沢諭吉)

出典:『修身要領』第四条(1900年)
道徳の綱領に、体を大切にせよという一条が入っています。『修身要領』第四条です。「生々の道」は生きていく道、「要務」は欠かせない務め、「苟めにも」は「決して」という意味。健康は生きるうえで欠かせない務めであり、不養生を許すな、という戒めです。睡眠を削って頑張ることは、この条に照らせば独立の土台を削ることになる、と読むこともできます。疲れた日に早く休むのも、務めを果たしている時間と言えそうです。

名言36【福沢諭吉】耐えて屈しない精神が独立を実にする

敢為活溌、堅忍不屈の精神を以てするに非ざれば、独立自尊の主義を実にするを得ず。人は進取確守の勇気を欠くべからず。

(福沢諭吉)

出典:『修身要領』第六条(1900年)
『修身要領』第六条です。「敢為活溌」は思い切って活発に行うこと、「堅忍不屈」は耐え忍び、屈しないこと、「進取確守」は自ら取りに行き、得たものを守ること。この精神がなければ独立自尊は絵に描いた餅になる、と条文は言います。踏み出す活発さと、苦しい局面で持ちこたえる堅さ。この二つが独立自尊を言葉から現実に変えます。始めたことを苦しくなっても手放さずにいることが、この条の求める強さです。

名言37【福沢諭吉】自分の進路を人任せにしない

独立自尊の人は、一身の進退方向を他に依頼せずして、自ら思慮判断するの智力を具えざるべからず。

(福沢諭吉)

出典:『修身要領』第七条(1900年)
分かれ道では、誰かに正解を言ってほしくなるものです。『修身要領』第七条は、そこに釘を刺します。「一身の進退方向」は自分の進む道、「他に依頼せず」は人任せにしないこと、「智力」は考え判断する力。進む道を人に決めてもらわず、自分で考える力を持ちなさい、という条文です。相談するのはかまいません。ただ最後に決めるのは自分だという一点を手放さない。自分で考えて選んだ経験は、次に判断する力として残ります。

名言38【福沢諭吉】男尊女卑を野蛮と断じた一条

男尊女卑は野蛮の陋習なり。文明の男女は同等同位、互に相敬愛して、各その独立自尊を全からしむべし。

(福沢諭吉)

出典:『修身要領』第八条(1900年)
『修身要領』第八条です。「陋習」は悪い習わし、「同等同位」は等しい立場、「全からしむ」は完全なものにさせること。男尊女卑は野蛮な悪習であり、文明社会の男女は同じ立場で互いに敬い愛する、と書いています。1900年、男尊女卑が当たり前だった時代に、道徳の綱領として「同等同位」と書いた意味は小さくありません。相手を型に当てはめず、一人の独立した人として敬意を払う。今も古びていない姿勢です。

名言39【福沢諭吉】夫婦の間でも独立自尊を侵さない

結婚は人生の重大事なれば、配偶の撰択は最も慎重ならざるべからず。一夫一婦終身同室、相敬愛して互いに独立自尊を犯さざるは人倫の始なり。

(福沢諭吉)

出典:『修身要領』第九条(1900年)
夫婦は一つになるものだ、ではなく、それぞれが独立した人のまま敬愛し合う関係を、『修身要領』第九条は人の道の始まりに置きました。「配偶の撰択」は結婚相手を選ぶこと、「終身同室」は生涯をともに暮らすこと、「人倫の始」は人の道の出発点。相手選びは慎重に、夫婦は互いに敬い、相手の独立自尊を侵さない、という内容です。相手の判断を思い通りにしたくなるとき、思い出したい一条です。

名言40【福沢諭吉】社会を変える前に自分の足もとを整える

一家より数家次第に相集りて社会の組織を成す。健全なる社会の基は、一人一家の独立自尊に在りと知るべし。

(福沢諭吉)

出典:『修身要領』第十三条(1900年)
『修身要領』第十三条です。「次第に相集りて」はだんだんと集まって、「基」は土台のこと。家が集まって社会ができる。健全な社会の土台は一人一家の独立自尊にある、と説きます。自分一人では何も変わらない、と無力に感じることがあります。福沢の順番は逆です。一人の独立が積み重なって社会になる。身の回りを整え、暮らしを自分で立てる。それがそのまま、社会を支える一つ分の土台です。

名言41【福沢諭吉】自分の幸せと他人の幸せを同時に守る

社会共存の道は、人々自ら権利を護り幸福を求むると同時に、他人の権利幸福を尊重して、苟も之を犯すことなく、以て自他の独立自尊を傷けざるに在り。

(福沢諭吉)

出典:『修身要領』第十四条(1900年)
「同時に」の一語が要になっている条文です。『修身要領』第十四条の「社会共存の道」は人が社会でともに生きる方法、「苟も之を犯すことなく」は決してそれを侵さずに、のこと。自分の権利と幸福を求めると同時に、他人の権利と幸福も尊重する。それが互いの独立自尊を傷つけない道だ、と述べています。職場で意見を通したいとき、相手にも守りたいものがある。そこを踏まないだけで、主張は共存の形になります。

名言42【福沢諭吉】仕返しではなく公明な手段を選ぶ

怨を構え仇を報ずるは野蛮の陋習にして卑劣の行為なり。恥辱を雪ぎ名誉を全うするには、須らく公明の手段を択むべし。

(福沢諭吉)

出典:『修身要領』第十五条(1900年)
『修身要領』第十五条です。「怨を構え仇を報ずる」は恨みを抱いて仕返しをすること、「恥辱を雪ぐ」は受けた恥をそそぐこと。仕返しは野蛮な悪習で卑劣な行いだ。名誉を取り戻したいなら公明正大な手段を選べ、と求めています。同じやり方で返したくなる気持ちは誰にもあります。福沢はそれを否定せず、晴らし方を選べと言うのです。正面から事実を伝える、仕事の結果で示す。それが名誉を本当に守る道です。

名言43【福沢諭吉】小さな仕事ほど責任が試される

人は自ら従事する所の業務に忠実ならざるべからず。其大小軽重に論なく、苟も責任を怠るものは独立自尊の人に非ざるなり。

(福沢諭吉)

出典:『修身要領』第十六条(1900年)
手を抜いても分からないときほど、仕事への向き合い方が試されます。『修身要領』第十六条の「従事する所の業務」は自分が携わっている仕事、「大小軽重に論なく」は大小も軽重も問わず、のこと。どんな仕事でも責任を怠る人は独立自尊の人ではない、という厳しい条文です。目立つかどうかで仕事の価値を測らない、と読むこともできます。任された範囲を誠実にやり切ることが、独り立ちして生きる足場になるという考え方です。

名言44【福沢諭吉】信頼は先に差し出すと返ってくる

人に交るには信を以てすべし。己れ人を信じて人も亦己れを信ず。人々相信じて始めて自他の独立自尊を実にするを得べし。

(福沢諭吉)

出典:『修身要領』第十七条(1900年)
『修身要領』第十七条です。「信を以てすべし」は信頼をもって接せよ、「人も亦己れを信ず」は人もまた自分を信じる、のこと。互いに信じ合ってはじめて、自分と他人の独立自尊が実のあるものになる、と条文は説きます。独立自尊を掲げた綱領が、人を信じることを条件に挙げているのが印象的です。新しく入った相手を実績で値踏みする前に、こちらから信頼を渡してみる。信は、証明を待ってから払うものではないようです。

名言45【福沢諭吉】弱いものへの荒さを戒める

博愛の情は同類の人間に対するに止まるべからず。禽獣を虐待し又は無益の殺生を為すが如き、人の戒むべき所なり。

(福沢諭吉)

出典:『修身要領』第二十条(1900年)
道徳の綱領に、人より弱い生きものへの態度が入っています。『修身要領』第二十条の「博愛の情」は広く人を愛する心、「禽獣」は鳥や獣のこと。博愛は人間相手にとどまらず、動物の虐待や無益な殺生も戒めよ、という条文です。言い返せない相手に、苛立ちが強く出てしまうことがあります。福沢のいう博愛は、力の弱いものへの無用な荒さを自分に許さない姿勢のこと。そこまで含めて独立自尊の人の品位だと読めます。

名言46【福沢諭吉】他者を見下すのは独立ではなく尊大

地球上立国の数少なからずして、各その宗教言語習俗を殊にすと雖も、其国人は等しく是れ同類の人間なれば、之と交るには苟も軽重厚薄の別あるべからず。独り自ら尊大にして他国人を蔑視するは、独立自尊の旨に反するものなり。

(福沢諭吉)

出典:『修身要領』第二十六条(1900年)
独立自尊は「自分さえよければいい」ではない、と念を押す条文です。『修身要領』第二十六条の「習俗を殊にす」は習慣が異なる、「軽重厚薄の別」は扱いの差、「尊大」はおごり高ぶること。言葉や習慣が違っても、同じ人間として分け隔てなく交われ。他国人を見下すのは独立自尊に反する、と説きます。自分の基準で違う部署や世代を測るのは、独立ではなく尊大さと読めます。違いを優劣に変えないことから交際は始まります。
『福翁自伝』から(名言47〜51)
『福翁自伝』は1899年に刊行された、晩年の福沢が自分の生涯を口述したものです。話し言葉で語られているため、表記が独特です。

名言47【福沢諭吉】父の不遇から生まれた門閥への怒り

私の為めに門閥制度は親の敵で御座る。

(福沢諭吉)

出典:『福翁自伝』(1899年)
『福翁自伝』でよく知られた一文です。「門閥制度」は家柄で身分が決まる仕組み、「親の敵」は親のかたきのこと。身分の低い父が能力を発揮できないまま不遇の生涯を終えたことを振り返り、福沢はその仕組みを「親の敵」とまで呼びました。反門閥の思想は、この個人的な悔しさから始まっています。出自で評価が決まる悔しさは今もあります。福沢は悔しさを恨みに終わらせず、仕組みそのものを疑う力に変えました。

名言48【福沢諭吉】受けた腹立ちを他人に回さない

人に軽蔑されても侮辱されても、その立腹を他に移して他人を辱かしめると云うことはドウしても出来ない。

(福沢諭吉)

出典:『福翁自伝』(1899年)
『福翁自伝』の一節です。「立腹を他に移す」は自分の怒りを別の相手に向けること。人に侮辱されても、その腹立ちを別の誰かにぶつけることだけはどうしてもできない、と語ります。叱られた苛立ちが後輩や家族に向かう。福沢にはそれができない気質で、「その反対に私は下の方に向て大変丁寧にして居ました」と続けています。怒りを感じない強さではなく、怒りを次に渡さない強さの話です。

名言49【福沢諭吉】母ひとりの承知があれば怖くない

唯頼む所は母一人だ。母さえ承知して呉れば誰が何と云うても怖い者はない。

(福沢諭吉)

出典:『福翁自伝』(1899年)
『福翁自伝』で、兄の死により家督を継いだ福沢が、大坂での蘭学修業に戻りたいと願い、叔父や周囲に反対されていた場面の言葉です。「頼む所」は頼りにするところ、「呉れば」は「くれれば」。母さえ承知してくれれば誰が何と言おうと怖くない、と腹を決めて母に直談します。独立を説いた福沢も、一人の承知を支えに周囲と向き合っていました。本当に分かってほしい一人は誰か。そこが決まると、残りの声は怖くなくなります。

名言50【福沢諭吉】親は子のために自分を曲げなくていい

親子だと云ても、親は親、子は子だ。その子の為めに節を屈して子に奉公しなければならぬと云うことはない。

(福沢諭吉)

出典:『福翁自伝』(1899年)
『福翁自伝』で、子どもを留学させる資金を出すという申し出を、前に決めた説を曲げることになると断った場面の言葉です。「節を屈して」は自分の信念を曲げて、「子に奉公する」は子に仕えること。親子であっても親は親、子は子であり、子のために自分を曲げて仕える必要はないと言います。子に尽くしすぎる親も、親の期待を背負いすぎる子も、苦しくなります。親子を別々の人として向き合う、息のしやすい見方です。

名言51【福沢諭吉】最悪を想像して覚悟を先に決めておく

元来私が家に居り世に処するの法を一括して手短に申せば、都て事の極端を想像して覚悟を定め、マサカの時に狼狽せぬように後悔せぬようにと計り考えて居ます。

(福沢諭吉)

出典:『福翁自伝』(1899年)
『福翁自伝』で、自分の生き方の流儀を手短にまとめた一節です。「世に処するの法」は世の中を渡る方法、「マサカの時」は不測の事態のこと。何事も最悪の場合を想像し、先に覚悟を決めておく。そうすれば、いざという時に慌てず後悔もしない、というのが福沢の処世法でした。不安を打ち消すのではなく、最悪を具体的に見ておくやり方です。覚悟が先にあると、本番の揺れはずいぶん小さくなります。
そのほかの著作から(名言52〜55)
福沢の言葉は『学問のすすめ』以外の著作にも残っています。『中津留別の書』(1870年、故郷の中津を離れる際に書き残した文)、『ひびのおしえ』(1871年、幼い息子たちのために書いた教え)、『学校の説』(1870年)から4つを選びました。

名言52【福沢諭吉】自由独立を誤ると徳も智も育たない

人の自由独立は大切なるものにて、この一義を誤るときは、徳も脩むべからず、智も開くべからず、家も治らず、国も立たず、天下の独立も望むべからず。

(福沢諭吉)

出典:『中津留別の書』(1870年)
郷里の中津を去る際に書き残した『中津留別の書』の一節です。「一義」はもっとも大事な一点、「脩むべからず」は修められない、のこと。人の自由独立こそ大切で、ここを誤ると徳も磨けず、智も開けず、家も国も立たない、と説きました。この自由は直前で「他人の妨をなさずして我が心のままに事を行う」ことと定められ、他人の自由を妨げないことと一体です。自由独立を個人の都合ではなく、社会の土台として置いた一文です。

名言53【福沢諭吉】子どもに教えた二つのいちばん短い約束

一、うそをつくべからず。一、ものをひらふべからず。

(福沢諭吉)

出典:『ひびのおしえ』初編(1871年)
1871年、福沢が幼い息子たちのために書いた『ひびのおしえ』初編の冒頭の教えです。「ひらふ」は「拾う」の古い表記。うそをつかないこと、落ちているものを拾わないこと。子どもがそのまま守れる形で正直さを説いています。都合の悪いことを濁したり、小さな得を黙って受け取ったりする場面は、大人にも多いものです。規模の小さな不正直ほど見逃しやすい。誠実さは、こうした小さな場面の積み重ねで試されています。

名言54【福沢諭吉】制度を変える前に振る舞いを整える

政を美にせんとするには、まず人民の風俗を美にせざるべからず。

(福沢諭吉)

出典:『学校の説』(1870年)
1870年の教育論『学校の説』の一文です。「政」は政治、「美にする」は良くすること、「風俗」は人々の振る舞いや習わしのこと。政治を良くするには、まず人々の振る舞いを良くせよ、と福沢は説きました。チームの空気は一人では変えられない、と諦めることがあります。けれど福沢の順番では、制度の改革を待つ前に、自分の挨拶や言葉づかいがすでに風土の一部です。振る舞いを整えることが、最初の一手になります。

名言55【福沢諭吉】世の中は一日も学問なしでは立ち行かない

天下一日も政治なかるべからず、人間一日も文学なかるべからず。

(福沢諭吉)

出典:『学校の説』(1870年)
同じく『学校の説』の一文です。「文学」は学問全般のこと。「人間」は「天下」と対になる語で、「じんかん」、世の中と読むのが自然です。天下に一日も政治が欠かせないように、世の中は一日も学問なしでは立ち行かない、という意味。福沢はこの後、政治と学問は助け合いつつ両立するものだから、政治の囲いの中に学問をつないではならないと続けました。学問を政治の道具ではなく、社会に独立して働くものと見た一文です。

福沢諭吉の名言についてよくある質問

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は福沢諭吉の主張ですか?

『学問のすすめ』初編の冒頭にある言葉ですが、原文は「〜と言えり」、つまり「と言われている」で結ばれています。福沢はこの考えを前置きとして示したうえで、現実には貴賤や貧富の差がある、その差は学ぶか学ばないかで生まれる、と論を進めました。平等の宣言というより、学問をすすめるための出発点として置かれた一文です。原文の形は名言1、そこから続く福沢自身の主張は名言2で紹介しています。

「世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事を持つことです」などの「福沢心訓」は福沢諭吉の言葉ですか?

福沢本人の言葉ではありません。「福沢心訓(心訓七則)」と呼ばれる七か条は、福沢の著作のどこにも見当たりません。慶應義塾の『慶應義塾豆百科』(No.98)が、戦後に作られて福沢の名を冠された偽作だと指摘していることが、紹介記事でも取り上げられています。言葉としては親しみやすいのですが、福沢の名言として引用するのは避けたほうが安全です。この記事の55選には入れていません。

「ペンは剣よりも強し」は福沢諭吉の言葉ですか?

違います。英国の作家エドワード・ブルワー=リットンの戯曲『リシュリュー』(1839年)のせりふです。福沢の言葉と思われやすいのは、慶應義塾のペンマークとの縁からでしょう。ペンマークは明治18年(1885年)ごろ、塾生が教科書にあった一節「ペンには剣に勝る力あり」にヒントを得て考案したのが始まりとされています(慶應義塾の公式サイト)。福沢がつくった塾の象徴ではあっても、福沢自身の言葉ではありません。

「今日も生涯の一日なり」は福沢諭吉の言葉ですか?

福沢の言葉として広く紹介されていますが、この記事の調査では、『学問のすすめ』や『福翁自伝』などの本文に見当たらず、出典となる著作を確認できませんでした。偽物だと断定できるわけではなく、福沢の考え方に通じる言葉でもあります。ただ、原文で確認できた言葉だけを載せるというこの記事の方針から、55選には入れていません。引用するときは「福沢の言葉として伝わる」と添えておくのが安心です。

「読書は学問の術であり、学問は事業の術である」は本当に福沢諭吉の言葉ですか?

『学問のすすめ』五編に実在する言葉です。ただし原文は「読書は学問の術なり、学問は事をなすの術なり」で、「事業」ではなく「事をなす」です。意味はほぼ同じですが、原文どおりに引用するなら「事をなすの術」のほうが正確です。この言葉には「実地に接して事に慣るるにあらざればけっして勇力を生ずべからず」という続きがあり、本を読むだけでは力にならないという福沢の実学の立場がよく表れています。原文と解説は名言21で紹介しています。

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まとめ

55の言葉を原文のまま読んでくると、福沢が繰り返し語っていることは三つに絞られます。人に頼らず自分の足で立つ「独立」、その土台になる「学び」、そして学んだことを実際に使うことです。『学問のすすめ』で説き、『修身要領』で条文にし、『福翁自伝』で自分の生き方として語った内容は、言い回しは違っても同じ芯でつながっています。古い言葉づかいに戸惑っても、ほどいてみれば、今の働く人に向けて書かれたかのような現実的な助言ばかりです。
すべてを一度に実行する必要はありません。学問の要は活用にある、と福沢自身が言っています。気になった一つを、仕事や人付き合いの場面で小さく試してみるだけで十分です。うまくいかなくても、進まない者は退くと知っていれば、戻ってやり直せます。55の言葉を通して見えてくる独立とは、誰にも頼らない強さのことではなく、自分で学び、自分で考え、自分で選ぶという毎日の小さな繰り返しのことなのだと思います。

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