2026年10月1日、東京・有明コロシアム。錦織圭の現役最後の試合は、ジャパンオープン1回戦でフランシス・ティアフォーに4-6、4-6で敗れて終わりました。この記事では錦織圭の名言23選を、言葉が出た時期と場面とともに紹介します。2009年、19歳の言葉から引退表明後の会見まで、時系列で並べました。
引退のニュースに心を動かされて来た人が知りたいのは、言葉の一覧だけではないと思います。どの試合の後に、どんな状況で出た言葉なのか。各解説はその場面を核にして、けがや負けの悔しさも込みで書いています。
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錦織圭とはどんな人物か
錦織圭は1989年12月29日、島根県松江市生まれ。5歳でテニスを始め、13歳で渡米し、2007年にプロへ転向。2008年にツアー初優勝、2014年の全米オープンでは準決勝で世界1位のジョコビッチを破り、アジア男子初の四大大会決勝に立ちました。2015年3月に自己最高の世界4位、2016年のリオ五輪では96年ぶりの銅メダルを獲得しています。
一方で、その19年はけがとの戦いでもありました。2017年の右手首、2022年の股関節の手術と、長い離脱を経験。それでもツアー優勝12回、452勝233敗を積み上げ、2026年5月に引退を表明し、10月1日のジャパンオープン1回戦が最後の試合になりました。
錦織圭の名言23選
時系列で並べています。名言1と名言2は発言の時期を特定できていないため、錦織のテニスの土台にある考え方として先頭に置きました。名言3からは、2009年の19歳の言葉を起点に、時間の順に進みます。
名言1【錦織圭】目の前の一球だけに集中する
まずは、目の前のボールだけ集中する。一瞬一瞬、自分にやれることをやろうと考えて。
(錦織圭)
テニスの試合は、長いときには3時間を超えます。先のことを考え始めると、今打つべき一球が雑になる。錦織はその対処法を「目の前のボールだけ」と言い表しました。勝ち負けでも相手の順位でもなく、一瞬ごとに自分にできることへ視線を戻す。引退発表の投稿に書かれた「一瞬一瞬を大切に」とも響き合う言葉です。大きな仕事を前に動けないとき、手をつける単位を小さく区切り直すのも、同じ考え方かもしれません。
名言2【錦織圭】目標は少しずつ高くしていく
少しずつ目標を高いところにおいて、徐々に上がっていければいいんじゃないかと思います。
(錦織圭)
5歳でラケットを握り、13歳で海を渡り、2008年にツアー初優勝、2014年に四大大会の決勝へ。外から見ると一気に駆け上がったように映りますが、本人の言葉は「少しずつ」「徐々に」でした。遠すぎる目標は、届かない日が続くと自分を責める材料になります。今の自分より少し高いところに次の目標を置き、届いたらまた少し上げる。この積み方なら、届かなかった日も「まだ途中」と思えるかもしれません。
名言3【錦織圭】19歳で向き合った自分との戦い
やりたいプレーと勝つプレーが違うので、今、自分と戦っています。
(錦織圭)
出典:Number 729号(2009年5月21日号)
2009年5月、19歳の錦織の言葉です。前年に初優勝し、注目が集まり始めた時期でした。エースを狙う攻めのプレーをしたい気持ちと、ミスを抑えて勝つプレーとの間で、本人は揺れていました。相手ではなく「自分と戦っています」と言うところに、この時期の正直さがあります。好きなやり方と結果が出るやり方がずれる経験は、仕事を覚え始めたころにも起きます。どちらも捨てずに揺れたことが、後の錦織をつくりました。
名言4【錦織圭】全豪ベスト8で手にした手応え
自分のテニスが十分通用すると感じました。自信を持ってこれからの大会に臨めると思います。
(錦織圭)
出典:Number 797号(2012年2月9日号)
2012年の全豪オープンで、錦織は四大大会で日本人男子として17年ぶりのベスト8に進みました。その直後の言葉です。「通用する」は願望ではなく、世界の上位と打ち合った末に体で確かめた感触でした。先に自信があって挑んだのではなく、ぶつかった後に自信が残った。初めての仕事を前に不安な人にも、覚えのある順番かもしれません。思っていたより通用した部分が、次の大会へ向かう錦織の支えになりました。
名言5【錦織圭】全米ベスト8で口にした強気な一言
勝てない相手は、もういないと思う
(錦織圭)
出典:スポルティーバ(2014年9月、全米オープン・ベスト8進出時のコメント)
2014年全米オープンでベスト8入りを決めたときの言葉です。錦織はこの後、準決勝で世界1位のジョコビッチを破って決勝に進みます。同年11月の帰国会見で本人は、意識して言ったわけではないが、これまでは試合に入る前にすでに負けていた、自分を追い込むために言った言葉だと振り返っています。強気の一言の裏にあったのは、戦う前から負けていた自分への苛立ちでした。言葉で自分を追い込んで勝ち上がった大会です。
名言6【錦織圭】決勝で力を出せなかった悔しさ
決勝という舞台で、力が出せなかったのは悔しいですね
(錦織圭)
出典:スポルティーバ(2014年9月、全米オープン決勝後のコメント)
2014年全米オープン決勝、相手はマリン・チリッチ。錦織はストレートで敗れました。準決勝で世界1位を倒した勢いのまま頂点へ、という期待は本人がいちばん強く持っていたはずです。試合後の言葉は、健闘をたたえる周囲に合わせず、「力が出せなかった」という事実をそのまま口にしています。準優勝に満足してみせることもできた場面で、悔しさを隠しませんでした。
名言7【錦織圭】自分でつくってしまったプレッシャー
ここまで硬くなったのは久しぶりで、試合に入り込めなかった。正直、(ロジャー・)フェデラーの方が、気持ち的には、やりやすかったかもしれないですね。勝たないといけないというプレッシャーを、自分の中でつくってしまっていた
(錦織圭)
出典:スポルティーバ(2014年9月、全米オープン決勝後のコメント)
同じ決勝の後、敗因を問われての分析です。チリッチには過去の対戦で勝ち越しており、勝てる相手だという意識が「勝たないといけない」に変わって体を硬くしました。格上のフェデラーなら楽だったかもしれない、という見立ては正直すぎるほどです。負けた直後に、自分の心の動きをここまで言葉にできた点に、錦織の冷静さがあります。出どころが自分の中にあると分かれば、緩め方も探せる。そこまで見えていた敗戦でした。
名言8【錦織圭】悔しさを忘れずに決勝へ戻る誓い
また決勝に戻ってきたいですね。この悔しさを忘れずに。また優勝を目指してやりたい。
(錦織圭)
出典:Number 861号(2014年9月、全米オープン準優勝後のコメント)
全米オープン準優勝の直後、試合後のコメントとして残った言葉です。「悔しさを忘れずに」と、本人があえて口にしています。悔しさは放っておくと薄れ、薄れた分だけ同じ結果を繰り返しやすくなる。忘れないと決めるのは、自分を責め続けることとは違います。足りなかったものを、次の練習の中身に変えておくための宣言でした。その後の錦織は、四大大会の決勝には一度も戻れていません。それでも12年、戦い続けました。
名言9【錦織圭】全米の疲れを越えて勝ったホームの優勝
ネガティブなことを、ポジティブに変えて勝てたのがうれしかった。
(錦織圭)
出典:Number 863号(2014年10月、楽天ジャパンオープン優勝後のコメント)
2014年10月、楽天ジャパンオープン優勝後の言葉です。全米オープン準優勝から1ヶ月、前週にはマレーシアでも優勝しており、疲れを抱えたままホームの大会に臨んでいました。「ポジティブに変えて勝てた」という言い方には、最初から前向きではなかった、という含みがあります。暗い気持ちを認めたうえで、試合の中で少しずつ向きを変えた。前向きになろうと焦るほど苦しい時期に、この順番は救いになるかもしれません。
名言10【錦織圭】チャンコーチと変えた攻めのテニス
新しく、マイケル・チャン・コーチがついて自分のテニスが良くなったことが一番。思った以上に攻撃的になった。前に出ることを強く意識させられ、自分が強くなった。
(錦織圭)
出典:nippon.com(2014年11月18日、日本記者クラブでの帰国会見)
2014年11月18日、日本記者クラブでの帰国会見。「今年は何が一番変わったのか」への答えです。キャリア最高の1年をつくった要因として、錦織はマイケル・チャンの存在を一番に挙げました。「意識させられ」という受け身の表現のとおり、自分では選ばなかった方向へ押され、「思った以上に」攻撃的になっています。自分の限界は自分で決めてしまいやすい。まだ先があると言う人に、この年の錦織は素直に乗りました。
名言11【錦織圭】楽しいだけでは難しいという正直な答え
楽しいは楽しいですが、それとは別のところで戦っている自分もいるので。プレッシャーだったり、身体の痛みだったり。勝つために努力をしているけれど、うまくいかなかったりで、つらいときのほうが多い。楽しいは楽しいけれど、それだけでは、難しいですね
(錦織圭)
出典:スポルティーバ(2025年12月掲載。10年ほど前の取材での発言)
2025年12月掲載の記事が「もう10年ほど前の話」として紹介した、2015年前後の言葉です。「テニスは楽しいですか?」と問われての答えでした。順風に見えた時期の、正直な中身です。楽しさは本当にある。けれど同じ時間の中で、プレッシャーと体の痛みとも戦っていて、「つらいときのほうが多い」。つらいと言っても、好きでなくなるわけではない。両方を抱えたまま、錦織はその後も10年続けました。
名言12【錦織圭】若手の台頭を人生のプロセスと受け止める
若手が強くなるのは自分にはあまりいいことではないですけど、でも、立ち向かわないといけないので。それも一つのプロセスというか人生でもあるし、その中で生き延びていかないといけない。
(錦織圭)
出典:Number 943号(2018年1月、インタビュー)
2018年1月、Numberのインタビューでの言葉です。前年は右手首のけがに苦しみ、コートに戻ろうとする錦織の前には、Next Genと呼ばれる若い世代が力をつけていました。「自分にはあまりいいことではない」と本音から入り、それでも「立ち向かわないといけない」と続けています。嘆くのでも歓迎するのでもなく、「生き延びていく」舞台として引き受けている。嫌だと認めたうえで立つ、二段構えの言葉です。
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名言13【錦織圭】30歳で見つけた改善の余地
自分のなかで改善できる部分があるので、いけるなというか、楽しみな部分があります
(錦織圭)
出典:スポルティーバ(2020年12月、インタビュー)
2020年12月上旬のインタビューでの言葉です。2019年秋に右ひじを手術し、2020年夏には新型コロナウイルスに感染、肩の炎症もあって、試合からは遠い1年でした。年齢のこともあり、ネガティブな声もささやかれる中、新コーチにミルヌイを迎えた30歳の錦織は、まだ直せる部分がある、だから楽しみだ、と語りました。できていないことを数えるのか、直せることが残っていると見るのか。錦織は後者でした。
名言14【錦織圭】子どもたちに見せたい現役の背中
今は自分の現役の姿を……背中を見てほしいというか、カッコいい姿を子どもたちに見せたいなという気持ちが一番にあります
(錦織圭)
出典:スポルティーバ(2025年6月掲載。2023年末ごろ、ジュニア指導の場での発言)
2023年の末ごろ、日本のジュニア選手の指導にあたっていた場での言葉です。同年7月にひざを痛め、試合から離れていた時期でした。教えている最中に本人が一番に挙げたのは、もう一度現役の姿を見せることでした。言葉で伝えるより、負けても戻ってくる背中を見せたい。「カッコいい姿」には、勝っている姿だけではない含みを感じます。この言葉のとおり、錦織は2024年3月にコートへ戻りました。
名言15【錦織圭】万全でなければ出ないという決断
60〜70パーセントの状態で試合に出ると、確実にまた再発する。それだけは、もうやめようっていうのは、コーチ陣たちとも話しています。
(錦織圭)
出典:スポルティーバ(2024年3月、マイアミ・オープン開幕前日のインタビュー)
2023年7月のアトランタ大会でひざを痛め、約8ヶ月の離脱を経た2024年3月、マイアミ・オープン開幕前日の言葉です。前年の夏、痛みがありながら試合に出てしまい、回復に時間がかかった。その経験から、「60〜70パーセントの状態」では出ないというルールを、コーチ陣との約束にしています。痛みをこらえて出ることは強さに見えますが、その先にあったのは長い離脱でした。無理を美徳にしないと決めた言葉です。
名言16【錦織圭】続けたい気持ちと胸を張れる自分
正直に言えば、今でもコートに立ち続けたい気持ちはあります。それでも、これまでのすべてを振り返ったとき、『やり切った』と胸を張って言える自分がいます
(錦織圭)
出典:Instagram投稿(2026年5月、引退発表)
2026年5月、錦織は自身のSNSで今季限りでの引退を発表しました。報告の言葉から始まる投稿の終わり近くに、この一節があります。やめると決めた人の「今でもコートに立ち続けたい」は、意外に響きます。続けたい気持ちを打ち消さないまま「やり切った」と言えるところに、この発表の誠実さがあります。未練を消してから区切らなくてもいいのかもしれません。19年の終わりに置かれたのは、迷いを含んだままの決断でした。
名言17【錦織圭】トップ10に辿り着いた誇り
トップの舞台に立ち、トップ10という場所まで辿り着けたことは、自分にとって大きな誇りです
(錦織圭)
出典:Instagram投稿(2026年5月、引退発表)
同じ引退発表の投稿の中で、キャリアの誇りを語った箇所です。錦織の最高ランキングは2015年3月の世界4位ですが、ここで本人が口にしたのは「トップ10という場所」でした。順位の数字より、世界の上位で戦う舞台へ「辿り着けた」道のりそのものを誇りとして語っています。他人と比べた高さではなく、自分が目指した場所に届いた事実を、自分で認める。19年を振り返って、本人が選んだ誇りの形でした。
名言18【錦織圭】何度でもコートに戻してくれたもの
度重なる怪我との戦いの中で、思うようにプレーできないもどかしさや、不安に押しつぶされそうになったこともありました。それでも『テニスが好きだ』『もっと強くなれる』という思いが、何度でも自分をコートに戻してくれました
(錦織圭)
出典:Instagram投稿(2026年5月、引退発表)
引退発表の投稿の一節です。2017年の右手首、2022年の股関節の手術と、錦織のキャリアには長い離脱が何度もありました。思うようにプレーできないもどかしさや不安を、ここで隠さずに書いています。そこから自分を戻してくれたのは、計画や論理ではなく「テニスが好きだ」という思いだったと言います。「好きだから」は、理由としては頼りなく見えます。けれど何度も立ち上がった人が最後に挙げた理由が、それでした。
名言19【錦織圭】残りの試合を一瞬一瞬大切に
残りの試合も、一瞬一瞬を大切に最後まで戦い抜きます
(錦織圭)
出典:Instagram投稿(2026年5月、引退発表)
引退発表の投稿を締めくくった言葉です。5月の時点で、シーズンの終わりまで戦い続けることを宣言していました。終わりが決まると、先のことばかり考えて、目の前の一試合がおろそかになりやすい。それを防ぐ構えが「一瞬一瞬を大切に」でした。名言1の「一瞬一瞬、自分にやれることをやろう」と重なる言葉で、錦織の集中の仕方が最後の局面でもう一度顔を出しています。残りの数ヶ月を、錦織はそういう構えで過ごしました。
名言20【錦織圭】練習に向かう足が重くなった日
練習やトレーニングに行く足が重くなってしまった。今まではそれが全くなかったので、そういった決断もあるのかなとよぎった
(錦織圭)
出典:デイリースポーツ(2026年7月、引退表明後初の記者会見)
2026年7月、引退表明後に初めて開いた記者会見での言葉です。引退が初めて頭をよぎったのは2025年8月の大会の後だったと、錦織は説明しています。痛いところが三つも四つもあり、そこからまた体を戻して戦う決断が、メンタル的にできなくなっていった。そして、それまで一度もなかった、練習に向かう足が重くなる感覚が来ました。積み重なった痛みと、日常の小さな違和感を、本人は転機のサインとして受け取りました。
名言21【錦織圭】終わる前にまた好きになれそうだという安堵
練習が思い切りできるようになり、感覚も良くなった。終わるタイミングでテニスをまた好きになれそうというのは良かった
(錦織圭)
出典:デイリースポーツ(2026年7月、引退表明後初の記者会見)
同じ7月の記者会見での言葉です。4月に約1ヶ月休養した後、練習を思い切りできるようになったといいます。注目したいのは「また好きになれそう」という表現です。裏返せば、足が重くなっていた時期には、好きという気持ちが薄れかけていたことになります。嫌いになる前に終われることを、錦織は素直に「良かった」と言いました。休んで、少し好きを取り戻してから区切る。錦織が選んだのは、そういう終わり方でした。
名言22【錦織圭】残りわずかという不思議な気持ち
残された試合があとわずかしかないというのは、ちょっと不思議な気持ち。とにかくベストを尽くして、いい形で締めくくりたい
(錦織圭)
出典:デイリースポーツ(2026年7月、引退表明後初の記者会見)
引退表明後初の記者会見での言葉です。19年続けてきた日常が、あと数試合で終わる。その実感がまだ湧いていないことを、錦織は「不思議な気持ち」と飾らずに言葉にしました。整理がついていないと認めながら、同じ息で「ベストを尽くして、いい形で締めくくりたい」と続けています。整理できないままでも、目の前に全力を注ぐ。錦織の最後の数ヶ月は、その二つが同時に進んでいました。
名言23【錦織圭】経験をジュニアに手渡す次の道
自分が歩んできた道や、経験をジュニアの選手に共有できたらと思う。日本のテニスが強くなってほしい気持ちはあるので、そこをどう手助けできるか探っていきたいと
(錦織圭)
出典:デイリースポーツ(2026年9月25日、都内での会見)
2026年9月25日、都内での会見で引退後の展望を語った言葉です。渡したいのは勝ち方の正解ではなく、「自分が歩んできた道や、経験」でした。13歳で渡米した日々、世界4位の日々、けがで離脱した日々。その全部が、次の世代に渡せるものになります。そして10月1日、有明コロシアムでの1回戦が現役最後の試合になりました。負けて終わった試合の後、錦織の手元に残っていたのは、この道でした。
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気合いを入れる言葉より、そっと隣にいてくれる言葉が欲しい日があります。この記事を運営するAnchorが作っているiPhoneアプリ「
ポケットAnchor」は、アプリ独自のコレクションから毎日ひとつを選び、ウィジェットに映します。20種類以上のカテゴリーから、今の自分に近いものを選んでおけます。基本機能は無料です。
まとめ
19歳で「自分と戦っています」と言った選手が、36歳で「やり切った」と言って区切りをつける。その間にあったのは、全米オープンの決勝で力を出せなかった悔しさ、何度も繰り返したけが、練習に向かう足が重くなった朝でした。2014年に優勝したジャパンオープンが、12年後、現役最後の舞台になりました。錦織圭の言葉を時系列で読むと、強い人の名言集というより、迷いながら続けた人の記録に見えてきます。
最後の試合の後、錦織は「銀行に大量にお金が入っていたのに、急に0になったような喪失感が襲ってきた」と語り、松岡修造さんが泣いているのを見てもらい泣きしたことにも触れました。空っぽになった後に残るのは、名言23で語った「歩んできた道」です。思うようにいかない日も含めて続けてきた道そのものが、誇りになり、誰かに渡せるものになる。そんなふうに読める23の言葉でした。
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